私の 「活動日記」 です!
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      (2008年7月分)


● 7月31日(木曜日)●

     丸正前で演説、自治基本条例などで持論を訴えました。

  朝、区役所の議員控え室で新潟県上越市の「地域自治区」の調査。先進的な取り組みが感じら
れます。有志の議員たちと10月末に視察に行きたいと思っています。費用は個人負担です。そ
の後、庁舎内で機関紙『新社会』の集金をしました。終わらせようと思っていましたが、2割ぐ
らいは残ってしまいました。

  夕方、丸正前で演説。後期高齢者医療制度、新宿区自治基本条例、漱石山房の復元について話
しました。熱心に聴いていた人がいたので、終わったあと話を聞いたら、「宗教団体は困ってい
る人の事を考えて行動するのかと思っていたら、権力にひれ伏している」と散々批判していまし
た。この人は、最近、医療保険と障害保険の問題で区役所に相談に行ったということでしたが、
制度の評価は別にして、窓口の職員は随分丁寧に対応してくれたと喜んでいました。「機会があ
ったら、山田さんからも褒めておいて下さい」とのことでした。区民からは、いつも苦情ばっか
りを聞いていますが、こんな話は私にとってもほっとする話題です。


● 7月30日(水曜日)●

       新宿区役所、不評な後期高齢者保険の窓口が混雑。

  頼まれていたことがあったので、午後、新宿区役所に行って何か所かの窓口を回ったら、「後
期高齢者医療制度」の窓口が随分混雑していました。やはりという感じがしました。もう暫くす
ると新宿区でも年金からの引き落としが始まりますが、そのことについての調査や質問のために
多くの高齢者が窓口に来ているのだと思います。
  連日、テレビや新聞でも取り上げられていますが、夫婦で年金収入が300万円あった場合、
保険料は世帯単位で算出するというのならば、収入が同じですから保険料は基本的には同じでな
ければなりません。しかし、夫の収入が250万円(妻は50万円)の場合と150万円(妻も
150万円)では、最初の世帯の方の保険料の総額は10倍以上も高くなります。これはひとつ
の例ですが、このような不公平な実態を見るみるまでもなく、後期高齢者医療制度は制度的にも
信頼されていません。当事者である高齢者の不振は極限状態と指摘するマスコミもありますが、
最早、破綻状態です。わずかな年金収入に対して、負担だけではなく、差別も持ち込むインチキ
な保険制度です。小手先のみなおしではなく、廃止して取りあえずは以前の老人保険制度に戻す
しかありません。


● 7月29日(火曜日)●

       夜、突然の大雨、これも異常気象の現われか。

  相変わらずの暑さです。私の田舎の津軽でも、最近は雪の降る量が随分少なくなりました。そ
れとは逆に、以前に比べて夏の暑さは相当なもののようです。気象異常は地球的な規模ですが、
小さな地域社会を見てみても、農作業の面や日常生活の面でいろいろな影響が出始めているよう
です。深刻な問題です。

  午前中、今月末で事務所を移転するので引越しの整理をしました。整理した大半の物は、廃棄
します。よくまあ、こんなものを捨てずに取っておいたものだ思いますが、引越しでもなければ
なかなかおいそれと捨てることが出来ません。

  夜、四谷の党都本部事務所で執行委員会開催。会議が終って散開する時間になった頃、ちょう
ど大雨になりました。雷鳴も轟いている状態です。これも異常な現象のひとつかも知れません。
  いつもこんな場合には、「雨宿り」をいい口実にして、どこかに寄っていっぱい飲むのが通常
の行動パターンですが、今夜は意を決して誘いを振り切り、雨の中、まっすぐ家に帰って9時過
ぎに食事をしました。可笑しなことですが、何かいいことでもしたような気持ちになっています。


● 7月28日(月曜日)●

     区役所前の歩道上の棚に、アケビが元気に生育中です。

  今日は区役所で『週刊・新社会』の集金をしましたが、朝、役所の玄関に入る前に正面前の歩
道上を見たら、緑の棚のあちこちに小さな「アケビ」がいっぱいぶら下がっていて、以前に比べ
ると随分大きくなっていました。区の職員がみどりを増やす一環として育てているものです。頻
繁に通る通行人も、歌舞伎町のど真ん中で元気よく生育中の本物のアケビの姿をみて、物珍しそ
うです。ただ、「アケビ」そのものになかなかぴんとこない通行人も結構いるみたいです。

 歌舞伎町といえば、「コマ劇場」は今年いっぱいで閉鎖になりますが、私の知り合いがコマで
の最後の「北島三郎ショー」の公演チケットを入手するということで、昨日から並んでいます。
  昼時間にちょっと行ってみたら、確かに正面玄関横に並んでいました。10人位いました。も
ともと面識のない人たちですが、昨日から並んでいるので、もう懇意になってしまったようです。
遠くから来て並んでいる人いるということです。朝からずっと並んでいて、夜は帰るけれども明
日もまた並んで、あさって販売される一番いい席のキップをとるのだそうです。ファンとは言え、
私にはとても信じ難いことです。仲間のキップも取らなければならないので、手抜きは出来ない
のだそうです。全くご苦労なことです。こうして取ったキップで鑑賞する「北島三郎ショー」に
はさぞかし満足することだと思います。全員にお茶の差し入れをしました。


● 7月26日(土曜日)●

      議会改革をいかに進めるか。全国の交流会に参加。

  市民と議会の条例づくり交流会議が主催した「議会改革はいま」というシンポジュームが明治
大学駿河台校舎で開かれました。今日は2時から6時までパネルデスカッションが行われました
が、実に面白い内容でした。東大名誉教授で自治問題に明るい大森弥(わたる)さんの話はいつ
もの通りでしたが、三重県議会で行われているこの数年間の取り組みは大変参考になりました。
今日の集まりには全国から各級議員や自治体関係者、議会事務局職員、学生など500人が参加
していました。
  明日も9時から4時半まで「分科会」が開かれます。私は第二分科会の「財政・決算改革」に
参加します。二日間の受講料は一万円ですが、私は交流会議の会員なので「会員割引」で7千円
ということでした。駿河台の会場では、偶然、元神戸市議会議員の浜崎利澄さん会いました。浜
崎さんは体調を崩して議員を引退しましたが、最近は元気いっぱいということでした。

  午前中は、昨日に引き続き人形町の新社会党中央本部事務所で執行委員会が行われました。
  1047名の首切り撤回を求める21年目の国鉄闘争が大詰めを迎えていますが、裁判闘争の
主任弁護士で党副委員長の加藤晋介さんとから現状と今後の展望などについてくわしい報告があ
りました。実質的に最終判断が下される東京高裁の判決が来年春に迫っていますが、いわゆる政
治決着の動きとも絡んで重要な動きがあり、国鉄闘争は文字通り最終局面を迎えています。 


● 7月25日(金曜日)●

      漱石山房の復元を目指す会、全区議会議員が参加。

  文豪の夏目漱石は、新宿区の喜久井町で生まれ、早稲田南町で亡くなりました。言わずと知れ
た事ですが、区が生んだ最大の文学者です。私は一ヶ月ほど前に(仮称)「漱石山房の復元を進
める新宿区議会議員の会」をつくり、漱石を生んだ地元の区議会議員として、議会の側から山房
復元の機運を高めていこうではないかと呼びかけていました。これまでそれぞれ検討していただ
いた結果、38人全員の賛同を得ることができました。皆さんも私と同じ思いを持っていること
を改めて確認することができました。

  今後は、各会派の世話人に集まってもらい、まず、名称を何にするかということから相談をし
て決めていきたいと思っています。この会の活動が、新宿区政の文化的な大きな課題のひとつで
ある漱石山房の復元を実現するその一翼を担うことが出来ればいいと思っています。いずれにし
ても、みんなで相談して有意義な会の活動を作っていきたいものです。


● 7月23日(水曜日)●

      佐伯祐三アトリエ、林芙美子記念館を訪ねました。

  佐伯祐三のアトリエが下落合駅近くにある佐伯公園の中に保存されています。新宿区では一般
公開に向けて、三年計画で準備を進めます。今日、議会の委員会で視察しました。

  佐伯祐三は、今年生誕100年になりますが、これを記念して各地で関連する催し物が開かれ
ています。福岡市で開催された「佐伯祐三展」のキャッチフレーズは「パリを愛し、パリを描き、
パリに燃え尽きた天才画家」というものでした。佐伯の生涯を端的に表していると思います。
  燃え尽きたような佐伯の30歳の生涯のうち、創作活動の大半はパリが舞台でしたが、画家と
しての日本での活動の多くは落合を中心に行われました。パリに行く前の大正10年から13年、
いったん帰国して大正15年から再渡仏する翌年まで落合で過ごしました。ここのアトリエは、
佐伯祐三の日本での拠点であり、奥さんの米子さんはなくなるまで棟続きの家に住んでいました。
  佐伯がここで描いた一連の「落合風景」の作品のひとつは、落合第一小学校に寄贈され、現在
は保存のために新宿歴史博物館が管理しています。全国の展覧会に「出張出品」されているとい
うことです。
  祐三が建てたアトリエは、かつての姿をいまに留め、木立の中に保存されていますが、一般公
開によって、在りし日の天才画家の息づかいが偲べるのは嬉しいことです。

  今日は、もうひとつ、佐伯祐三のアトリエからそんなに遠くない場所にある林芙美子旧居跡も
視察しました。現在ここは、「林芙美子記念館」として一般公開されていますが、芙美子が自ら
こだわって建設した建物だけに、実に風情があります。庭園もすばらしいものがあります。全国
から見学者が来ていますが、ぜひ、多くの区民にも見てもらいたいものだと思っています。


● 7月22日(火曜日)●

   区民会議発足、自治基本条例制定に向けて具体的に始動。

  新宿区自治基本条例制定へ向けて、午後6時半から「区民会議」の発会式がありました。メン
バーは、地区協議会代表10人、町会連合会代表2人(欠員1人)、NPO代表3人、公募区民
16人の合計31人です。全員に委嘱状が渡された後、区長と議長が挨拶し、辻山座長(中大客
員教授)とアドバイザー役の牛山久仁彦さん(明大教授)の講演がありました。

  今日、正式に発足した「区民会議」の中から、今年末頃までに6人の区民代表が選ばれます。
そして、区長部局の6人、区議会代表の6人、辻山座長を加えた合計19人で、いよいよ、条例
原案の検討に入ります。区切りのいい時期に「住民との懇談会」なども行い、再来年2月の第一
回定例議会に自治基本条例の議案が提出される予定になっています。

  今後具体的に始まる条例制定作業に向けて、私も調査や勉強をしなければならないことが随分
あります。特に、「都市内分権」「地域分権」の担い手としての「地域自治区」をどう構築する
かは重要な課題です。現在の新宿区の「地区協議会」は制度的にも質的にも変わらなければなり
ません。全国に先進的な先例がないかどうか調べていますが、新潟県の上越市の「地域自治区」
は興味ある調査対象です。


● 7月20日(日曜日)●

    「地域探訪」で二葉保育園の発足当時の歴史を紹介。

  私の後援会(やまびこ会)の「区政報告」を印刷し、二つに折る作業をしました。B4サイズ
で1万枚つくりました。何人かの人にお願いし、四谷地域を中心にして7月末から個別配布をし
ます。郵便で送付するものもあります。
  掲載記事は、「後期高齢者医療制度は見直しではなく廃止を!」「新宿区の憲法(新宿自治基
本条例)、制定に向け具体的に始動!」「区立図書館の民間委託へ。本会議場で反対討論」など
を中心にして、バザーの案内、無料法律相談の案内、杉並区で小学生が落下事故で死亡した「天
窓」についての新宿区の調査実態、信濃町保育園・児童館の耐震工事の契約状況、新宿区議会第
三回定例会の日程などを載せました。

  「地域探訪」というコーナーでは、「二葉保育園を創った人たち」というタイトルで、華族女
学校の先生をしていた若い二人の創設者の森嶋美根(みね)・野口幽香(ゆか)、そして二人の
跡を継いで日本の幼児教育、特に貧民教育に偉大な足跡を記した徳永恕(ゆき)をとりあげまし
た。徳永恕は、後に女性としては初めて名誉都民の顕彰を受けましたが、生涯、家を持たず、亡
くなる直前まで園児と共に生活した人です。女学校卒業後、若干20歳で東京の「三大貧民窟」
と言われた四谷の鮫が橋に新設された二葉保育園に入園して65年。この上なく貧しいいたいけ
な子どもたちやその家族、そして当時の厳しい生活を余儀なくされていた人々にその持てる全て
を捧げ尽くした徳永恕の85年にわたるすばらしい人生の一部を紹介しました。
  恕は、女学校の頃には大京町に住んでいました。明治末期のことです。私は、同じ町の住民の
一人として、以前から恕の住んでいた場所がどこなのかを調べていますが、未だに分かりません。
誰かご存知の人はいないでしょうか。


● 7月19日(土曜日)●

       東京湾に危険極まりない原子力空母はいらない!

  日米政府は、多く人たちの反対を押し切り横須賀港を今年8月から原子力空母「ジョージ・ワ
シントン」の母港にすることを決めています。原子力空母の母港がアメリカ以外の国に設置され
るのは横須賀が初めてです。その「J・ワシントン」は、5月に中南米を航海中に火災事故を起
こし、現在はサンディエゴで点検中のようです。火災事故による危険性や問題点はなかったと公
表されています。いつものことです。

  今日、昼過ぎから横須賀市のヴェルニー公園で「原子力空母の横須賀母港化を許さない全国集
会」が開かれたので参加しました。全国各地から一万人以上の人たちが集まり、大変盛り上がり
のある集会でした。
  私は、党の宣伝カーから、原子力空母がこれまで世界各地で引き起こしてきたさまざまなの事
故を紹介し、従来、米軍や日本政府が言ってきた「安全性」がいかに信憑性のないものであるか
などについて説明しました。また、チェルノブイリの悲惨な放射能漏れ事故は、今でも周辺各国
に多くの後遺症をもたらしていますが、万一、東京湾で似たような事故が発生した場合には、私
たちは想像を絶する犠牲者(1200万人とも推定されています)が出ることを覚悟しなければ
ならない。しかし、そんな覚悟はできるわけがないし、する必要もないが、その代わりに「原子
力空母の母港化には反対しよう」と訴えました。
  とにかく、うだるような暑さで頭がクラクラしました。参りました。


● 7月18日(金曜日)●

   「区政報告」を作成。知事会が消費税率引き上げを提言。

  もうすぐ発行する予定の「区政報告」を作成しました。後期高齢者医療制度については、政府
や自民・公明が進めているような小手先の「見直し」ではなく、とにかくいったん廃止して、ど
のような制度がいいのか再構築の論議を進めようという主張を載せました。

  社会保障制度とも関連することですが、今日のニュースによると全国知事会が「消費税率の引
き上げを求める提言」を発表したということです。財政が厳しいから消費税を上げろというのは、
政府は喜ぶかも知れませんが、実に短脈的な議論であり、傾聴に値する主張ではありません。
  知事会は、先に道路特定財源の暫定税率の廃止にも声高に反対していましたが、「特定財源は
維持しろ」という一方で、財政が厳しいから「消費税率は上げろ」というのでは、とても整合性
のある主張とはいえません。知事会は、住民代表の団体なのか、もっぱら一部の業界の声を代弁
する圧力団体なのか疑問です。きちんとした見識を持ち、評価に耐えうる理念を持った集団のよ
うにはとても感じられません。最近、特に単なる寄り集まりの集団のようなところが顕著になっ
ていますが、こんなことで日本の「地方自治」は本当に大丈夫なのでしょうか。

  今、「地方自治」の「地方」という文字を打ち出そうとしていたら、何度も「痴呆」という文
字が出てきました。私の文章の意味合いを読み取っているかのような感じがして、笑ってしまい
ました。


● 7月17日(木曜日)●

  「市議会報告チラシの配布」の住居侵入容疑は不起訴に。
    
それにしても、歴史が急速に逆行している感じがします。

今月の初めに国分寺市内のマンションで建物の入り口にある「集合郵便受け」に市議会報告の
チラシを入れていた共産党の市議会議員が、「住居侵入」の容疑で書類送検されました。集合ポ
ストにさまざまなチラシ類が入るのはどこでも日常茶飯事です。いやらしいチラシも中にはあり
ますが、たかが郵便受けにチラシを入れたぐらいの些細なことで「住居侵入」にされたのでは、
全くたまったものではありません。こんなことが横行するのならば、近所の商店の「大売出しの
チラシ」を入れて歩いていたおじさん、おばさんも逮捕、PTAの連絡用紙を配って歩いていた
役員も逮捕、まつりの案内を配っていた町会の役員もお縄になり、アルバイトでピザのチラシを
配っていた学生も連行、などと言うことにもなりかねませんが、こんな日常的なことで「書類送
検」とは、全く驚くべき「暴挙」です。

  今日の夕刊によると、東京地検の八王子支部は「不起訴処分」にしたということです。当たり
前の措置だと思いますが、問題はこんなことで「書類送検」をする官憲の姿勢であり、思想的な
背景が今度の「暴挙」の裏にあると思わざるを得ません。
  とにかく、この国では年と共に反動的な動きは徐々に強まってきています。ひとつひとつ、反
対の声をあげていかなければ、いつかとんでもないことになってしまいます。物事が一挙に変わ
る場合(悪くなる場合)はその状況が誰にも分かりますが、劇的な変化でない場合には、人々は
徐々に慣れてしまって裏に潜んでいる危険性を読み取れないまま受け入れてしまうということが
通例としてあります。これが恐ろしいところです。

  次に引用したのは、ドイツの牧師のM・ニーメラーの「やつらが最初に共産主義者を攻撃した
時」という詩です。以前、私はこの詩を本会議の代表質問で引用したことがあります。ナチの時
代のものですが、だんだんと私たちの今の世相と似てきていると思い、ぞっとしています。


     やつらが最初に共産主義者を攻撃した時
               マルチン・ニーメラー

     ナチの連中が最初に共産主義者を攻撃した時、私は声をあげなかった、
       なぜなら、私は共産主義者ではなかったから。

     ナチの連中が社会民主主義者を牢獄に入れた時、私は声をあげなかった、
       なぜなら、私は社会民主主義ではなかったから。

     ナチの連中が労働組合員を攻撃した時、私は声をあげなかった、
       なぜなら、私は労働組合員ではなかったから。

     ナチの連中がユダヤ人たちをを連れて行った時、私は声をあげなかった、
       なぜなら、私はユダヤ人などではなかったから。

     そして、最後に彼らが私を捕らえにきた時、
       私のために声をあげる者は、もう誰一人として残っていなかった。



            [ マルチン・ニーメラー について ]
 
   ドイツのルター派神学者。第1次世界大戦に従軍し,潜水艦長として活躍。ウェストファリアのミュ
  ンスター大学で神学を修め,1924〜30年同大学学内伝道にたずさわり,31〜39年ベルリン・ダーレムの
  ルター派教会牧師となる。ヒトラーの教会支配に対する抵抗運動の指導者として活躍し,牧師緊急同盟
  の結成を呼びかけ,告白教会の形成,バルメン宣言の成立にあずかって力があったが,逮捕されて,ダ
  ハウの強制収容所に送られる(1937) 。第2次世界大戦後解放されて,平和運動,ドイツ統一運動に尽力。
  ドイツ福音主義教会評議員,同外務局長。世界教会協議会会員。主著『Uボートから講壇へ』。



● 7月16日(水曜日)●

     アクセス数 3万件突破。ご覧頂いている方々に感謝。

  私のホームページが開設されたのは2004年1月31日です。全部、友人の秦康博さんに無
料で作ってもらいました。以来、4年と4ヵ月半になります。相変わらず文字ばっかりで、ほと
んど工夫の跡が見られない画面になっていますが、主として私の活動の情報発信のツールとして
は、結構、いい調子で続いてはいます。
  今日、アクセス数が3万件を超えました。人気のある「ブログ」などに比べると全く微々たる
ものかも知れませんが、私にとっては気が遠くなるような数字です。
  私にその方の能力があれば、もっともっと工夫をして楽しい画面にします、などと威勢のいい
約束をすることができますが、何の能力もありませんから何の約束もできません。残念です。
  私のホームページを「根気強く」見ていただいている方々には、心からお礼を申し上げます。 

  今日は、特別に予定された会議などはありませんが、ほぼ一日中、区議会で資料の整理や調査
をしました。また、もうすぐ発行する予定の「区政報告」の原稿を幾つか推敲しました。


● 7月15日(火曜日)●

     自治基本条例制定作業着手へ、今日、区民委員を選出。

  新宿自治基本条例は、区長部局職員の6人、区議会議員代表6人、区民選出委員6人と学識経
験1人の合計19人で原案の策定に入ります。このメンバーになる区民選出委員については、5
月時点から区や議会のホームページや町会の掲示板などを利用しては募集していましたが、昨日
の14日で締め切られました。
  応募総数は男性30人、女性11人、合計41人でした。自治の理念や方針を検討し、条例の
原案を作る任務を持ち、しかも無報酬なのでどれくらいの人が手を上げてくれるか心配しました
が、こんなに沢山の方が応募してくれたのは予想外でした。
  区民選出委員の枠は16人にすることになっているので、41人の中から16人を選ばなけれ
ばなりません。その選考委員は5人です。学識の辻山教授、企画政策部長、企画政策課長、それ
に区議会の2人がその任に当たりました。私もその役を担いました。応募者からは前もって簡単
な文章を提出してもらっていましたが、その優劣によって選考するのではなく、年齢や性別を考
慮しながらも単なる抽選によって決めることにしました。各年代からバランスよくということと
男女の比率を考えた「抽選基準」を5人で決めて、あとはすんなりとくじ引きで16人のメンバ
ーを選出しました。7月22日に第一回の委員会を開き、いよいよ具体的な作業に入ります。


● 7月14日(月曜日)●

       二冊の本。「信念に生きる」と「未知への挑戦」

  以前に若くして釧路市長を勤め、その後、参議院議員として労働者の権利拡大のために奔走し
た山口哲夫さんから自著の本を贈っていただきました。タイトルは『信念に生きる』です。まだ、
冒頭部分しか読んでいませんが、山口さんの生き方、考え方は最初の一行目からよく表れていま
す。山口さんは、自分に対して正直であり、同時に労働者や社会的弱者に対しても正義を貫きま
した。まさしく自らの「信念」に生きぬき、新社会党の結成にも中心的な役割も果たしました。
  たった一度しかない人生、こうでありたいものです。

  先日、青森県市浦村の高松隆三元村長からも本をいただきました。『未知への挑戦−人が歩け
ば道になる』という本です。市浦村は、平成の大合併で津軽平野の小都市の五所川原市や太宰治
の生まれた金木町と一緒になり、地図から消えてしまったまちです。かけがえのない私のふるさ
とです。この本は、さまざまな村の施策が朝日新聞の紙上で「最北端の最先端」と評された高松
村政(それは輝かしい市浦村政と言っていいと思いますが)の歴史そのものです。
  高松さんは、「単なる回顧録ではなく、歴史書であり、生きた教科書である」と喝破していま
すが、まさにその通りだと思います。
  「巻を置くにあたわず」の感じで一挙に読み通しました。
 
  私が尊敬する二人の先達者から後に続く人たちのために書きあげられた二冊の本をいただき、
うれしい限りです。二人とも、規模の違いこそあれ首長をつとめ、自ら先頭に立って創り上げた
地域自治と、自治に対する発言や行動は、住民から強く支持されました。二人には、人柄を含め
て共通点があります。この二冊の本も、私にとっては、紛れもなくこれからの「生き方」や「活
動」の大きな指針になります。


● 7月12日(土曜日)●

    新社会党東京都本部書紀退職、お礼と激励の会を開催。

  新社会党東京都本部で、96年の結党以来12年間にわたって専従書紀を勤め、日常業務の多
くを担ってきた和田成枝さんが5月に退職しましたが、今日午後1時から親しい仲間で「お礼と
励ましのつどい」を開きました。党員だけの内輪の集まりです。ただ、日程的にはきのうから熱
海で開かれている自治体運動関連の大きな会議ともろにぶつかってしまったので、出席予定の多
くの方々はそっちに出かけていますが、それでも60人余が新宿駅近くの会場に集まってくれま
した。
  和田さんは、党の新宿総支部に所属しているので、私たち新宿の党組織が実質的な今日の主催
者です。1時から始まった「つどい」は、二次会、三次会、四次会と延々と続き、結局、みんな
くたびれて元気がなくなった10時過ぎにようやく終了しました。ただ、同じビルの中の上と下
で全てを済ませたので、あっちこっち移動したということではなく、時間を忘れて交流を深める
ことができました。

  今日は私の誕生日です。ついこの間、「還暦」などと言っていたのに、もう66歳です。最近
はいやになるくらい月日のたつのが早く感じられます。充実した生活を送っていないということ
なのかもしれません。 


● 7月11日(金曜日)●

    『都市内分権』の制度設計、上越市の取り組みに注目。

  午前中は、四谷一丁目の新社会党東京都本部事務所で雑用処理。
  午後は、区議会の私の部屋で新潟県上越市の自治基本条例に関するさまざまな資料収集をしま
した。上越市の地域自治区は、先進的な制度設計ができているということで各方面から注目され
ています。先日開かれた「日本自治学会」のパネルデスカッションでも、上越市の議員(合併前
はある町の町長を勤めていたそうです)が地域自治区について発言していましたが、私はその話
を聞いて大変興味を持ちました。
  新宿区でも、これから具体的に検討することになっている新宿自治基本条例の中に地域の自治
をどのように位置づけて「自治体内の分権」(都市内分権)を進めるか大きな課題になります。

  昨日、新宿自治基本条例に関する10回の地域懇談会がいったん終了したので、みんなで「反
省会」をしましたが、その席で中大の辻山座長と上越市の取り組みについていろいろと意見交換
をする機会がありました。辻山座長も上越市には関係していたということなのでびっくりしまし
た。評価できるところがあるという意見でした。
  今後、資料を集めて勉強しますが、私はできれば直接話を聞きたいものだと思っています。


● 7月9日(水曜日)●

   株式会社の特区大学・新宿キャンパス閉鎖、事実上の倒産。

  今日は、新宿区議会で四つの常任委員会が開かれる定例日に当たります。午前10時から一斉
に開会されました。
  私が所属する総務区民委員会では、日本で初めて特区によって株式会社が設立した「LEC東
京リーガルマインド大学」の新宿キャンパスが閉鎖になったことについて報告がありました。
  新宿区が国に対して「特区の申請」をしたことにより、学校法人ではなく株式会社が設立する
ことになった大学のキャンパスです。LEC大学は、他の自治体にあるキャンパスもほとんど閉
鎖されており、事実上、「倒産」したことになります。従って、この「倒産」については、新宿
区も申請者としての責任があります。
  当初から問題のある大学だったので、このような結果になったことは止むを得ないにしても、
新宿区の責任の所在については、現行の法律の諸規定を含めて検討する必要があると思いました。

  今日の委員会では別の報告もありました。先日、杉並区の学校で校舎屋上の「天窓」から落下
した事故が発生し、子どもが死亡しましたが、新宿区での「天窓」の実態が明らかになりました。
  それによると、学校を含めた新宿区のほとんど全ての施設は、事件が起こった杉並区のように
子どもや施設利用者が容易に「天窓」に上れるような危険な箇所はありません。しかし、絶対に
安全ということでもありませんので、策を設けたり、出入りを制限する装置を設けたり、表示を
強めたりして適切な措置を取っているということです。

  大分県の小学校教員採用試験をめぐる汚職事件で、今までに何人もの校長・教頭、教育関係者
の幹部が逮捕されました。事件は更に拡大する様相です。信じがたいことですが、このような金
銭のやり取りは、以前から一部の人たちの中では周知の事実だったようです。要するに、こうし
た不正は特殊な事情ではなく、日常茶飯事に行われていたということです。驚くべきことです。
先生になるのも「金次第」だとはあいた口がふさがりません。
  不正な試験点数の水増しによって「合格」した受験生のせいで、本来なら合格すべき人が落第
したことになります。試験制度が完全に崩壊しているといわざるを得ません。また、自分の実力
によって合格した受験生も、このような事件が明らかにされると、校長などをしている親の「心
遣い」によって合格したと言われることになりますが、実にかわいそうなことです。
  新宿区などの場合、教員は全て東京都採用の職員なので、これまで不正があったかどうか、い
ずれ明らかになると思いますが、もし、このようなことが東京都にもあるとしたならば、まさに
由々しいことです。


● 7月8日(火曜日)●

    「利権の分け前協議」で、ブッシュが勝利したようです。

  先進国サミットが洞爺湖畔で開会されています。先ほどの報道によると、温室効果ガスの世界
全体の排出量を「2050年までに半減する」という当初想定した長期目標には合意できず、ア
メリカ主導の曖昧な表現にとどまるとの事です。ブッシュの勝利なのだそうです。ゴア元副大統
領のように地球環境の現実の姿は全く直視しないで、アメリカ利権の確保にうつつを抜かしてい
る「ブッシュの勝利」によって、この地球の息づかいはますます困難なものになりそうです。

  サミットは、それぞれの先進国の利権確保の場所であり、その分け前をどうするかを相談する
場所ですが、首脳と言われている人たちが顔をつき合わせて「自分たちの利益確保の協議」をし
ているこの一瞬にも、地球環境は確実に悪化し、また、わずかの食べ物やちょっとした薬品がな
いために、多くの人たち、特に子どもたちがたった一度しかない大切な命を落としていることを
思うと、やりきれない気持ちになります。

  私の知り合いは、このようなサミットは許せない、日本でサミットが行われるときだけ「抗議
の姿」が表に出ない、これでは困窮のどん底にある後進国の人たちに申し訳ない、などと言って
東京からわざわざ洞爺畔まで「抗議」に行っていますが、彼の気持ちはよく分かります。


● 7月6日(日曜日)●

       開館20周年、「新宿歴史博物館」の思い出。

  三栄町にある「新宿歴史博物館」は、1989年1月29日(日)に開館されました。
  私が議員になったのは1971年5月ですが、区議に初当選してから、随分、長い間、新宿区
の歴史的資料や文化的な財産を内外に紹介する記念館のような施設を作ろう、と議会で主張して
いました。当時の新宿区長は山本克忠さんでした。山本区長は、23区の区長会の会長をしてい
ましたが、自治制度の改革などの面では23区を纏め上げていく指導力があり、また、文化的な
施策の展開にも随分積極的な方でした。私の繰り返しての主張にも理解を示してくれて「新宿歴
史博物館」の建設を決断しました。

  その後、建設場所を現在地か三栄公園にするかなどでさまざまな調整があり、紆余曲折の末に
開館されたのが現在の「新宿歴史博物館」です。

  私にとっては、記念すべき施設だったので、オープンの時には、まだ小さかった私の長男と次
男も一緒に連れて行き、開館時間のずっと前から並びました。もちろん、私たち親子が先頭でし
たが、第一号の入館者に長男がなるか、次男がなるかを決めることになり、確かジャンケンをし
たと思います。しかし、親子で協議した結果、子ども二人が腕を組み、扉が開いたら同時に第一
歩をしるすことにし、そのようにしました。
  従って、「新宿歴史博物館」の一番最初の入館者は、山田啓史と山田耕史の二人ということに
なっています。私たち夫婦は三番目と四番目の入館者ということになります。その時の「記念入
館証」は、今でも保管しており、家の中を探せばどこからか出てくる筈です。

  早いものであれから足掛け20年になりました。「新宿歴史博物館」では、開館20周年を記
念して、今月27日から「おべんとう箱−食器の美と技−」という所蔵資料展を開催することに
なっています。

  6月から『資本論』の勉強会をはじめています。毎月一回、第一日曜日が定例日で、今日午後
二時から中野駅近くの会議室で二回目の講義が行われました。講師は、東大名誉教授でマルクス
経済学者の塚本健先生です。約50人が参加しました。最近、私も時間を見つけては久しぶりに
『資本論』を開いています。私がいま手元に持っている『資本論』の第一分冊の最終ページには、
「1971年12月19日午後11時半に読了」とメモしてあります。29歳の時です。理解し
たかどうかは別にして、この時に一応読み通したことは事実です。その古びた本を、最近、繰り
返し読んでいます。『資本論』は、難解な本ですが実に味わい深いものがあると思っています。

● 7月5日(土曜日)●

     日本自治学会の研究会、議員の役割などで意見交換。 

  午後一時半から、日比谷の日本プレセンターで日本自治学会の「第8回シンポジューム」が開
かれました。私は、大分前からこの組織の会員ですが、自治学会からは地方自治に関するいろい
ろな情報を得ることができるので大変助かっています。会長は、自治問題に関していつも切れ味
鋭い発言を繰返してい東大教授の神野直彦さんです。新宿区の自治基本条例制定検討連絡会議の
座長を勤めている辻山幸宣・元中大教授は、この会の理事だということです。
  学会主催で年数回ですが、「シンポジューム」や「研究会」が開かれています。
 今日のテーマは、「市民がコントロールする自治体とは」というものでした。パネラーは地方
制度調査会の西野万理さん(明大教授)や前宮城県知事の浅野史郎さん(慶大教授)など4人で
した。司会は新藤宗幸・千葉大教授です。

  自治体の現場で苦労した自治体の首長も参加していて、今後の自治体内分権のあり方や議員選
出の監査委員の是非、オンブズマン活動の現状と課題などについて、参加者を含めて活発な話し
合いが行われました。地方議会の存在意義や議員の「能力の程度・能力の水準」などについても
辛らつな発言がありました。一般的に言うならば、多くの議会では、議員は議決機関・立法機関
として本来的な役割を果たしていない、従って、議会は十全に機能していないという問題提起で
す。要するに、一部の例外を除いて、議員の程度が低いといことです。私も同感です。頭が痛い
話が続きましたが、活気のある集まりでした。
 日本自治学会の研究会やシンポジュームは、精度の濃い研究発表や課題提起が行われるので、
いつの集まりでも大変参考になります。



● 7月4日(金曜日)●

     丸正前で街頭演説、汗びっしょりになりました。 

  夕方、4時前から丸正前で一時間半ほど「街頭演説」をしました。この時間は日陰になると勝
手に思っていましたが、太陽の軌道変わったらしく(?)、さんさんと太陽が際し込んでいたた
めに、話している間に全身汗びっしょりになってしまいました。演説の途中、ポカリスエットを
差し入れてもらいましたが、実に美味しくいただきました。

  午前、東京女子医大病院で一年ぶりに定期的な「眼底検査」をしました。この頃、視力が落ち
てきたような気がしていましたが、医師からは「昨年と比べて全然変化がない」、「年齢の割に
は良好」と言われました。そう言われると、ついつい何となくそのように思ってしまいますが、
いずれにしても「異常なし」ということなので良かったと思っています。



● 7月3日(木曜日)●

     チラシ配布で住居進入容疑、国分寺市議の書類送検。 

  今日の朝日新聞の報道によると国分寺の共産党市議が「市議会報告」をマンション入り口の郵
便受けに投函したという容疑で「書類送検」されたのだそうです。事実上、誰もが出入りする集
合住宅に入り、そこの入り口の郵便受けにチラシを入れたことで「容疑者」扱いになるとは、実
に驚くべきことです。要するに、ビザのチラシも、ダイエットチラシも、ピンクのチラシも、ま
た、近所の商店の大売出しのチラシも、郵便受けに入れたら「犯罪」として罰せられる危険性が
あるということです。警察の過剰反応そのものですが、しかし、次第にこんな反動的なことが当
たり前のような社会になろうとしています。恐ろしいことです。ストップをかける動きを強めな
ければなりません。

  今年4月、最高裁は立川の自衛隊官舎で反戦ビラを配布した市民団体のメンバーを有罪にしま
した。あの判決自体にも納得できませんが、国分寺の場合は、立川の「事件」と大きく異なって
います。それにもかかわらず、今回の国分寺の出来事は、最高裁の判断に迎合し、更にその方向
を拡大しようとする動きです。いずれにしても表現の自由を権力によって制約しようとするこの
ような官憲の対応は、絶対に容認することができません。
  今日のmixi私の友だちが「こうして自由は死んでいく〜」と記載していましたが、まさに
その通りだと思います。


● 7月1日(火曜日)●

     何にもできない政治家の存在こそ最大の無駄遣い? 

  年金や保険制度など社会保障制度の改善を名目にして消費税率の引き上げの議論が強まってい
ます。福田首相も、例によってのらりくらりとした対応をしていますが、次第に税率引き上げの
考えに傾いているようです。国民からは、当然のように「税金や税率を云々する前に無駄遣いを
やめろ」という声が起こりますが、これを見通して自民党の中に「無駄遣い撲滅プロジェクトチ
ーム」(PT)なるものが作られ、先日、取り組む課題が明らかにされました。
  これに関連して、今日の朝日新聞の「声」の欄に次のような趣旨の投書が載っていました。

  「自民党のPT案が、税金の無駄遣い追求だとして、マッサージチェアの購入など娯楽費の凍
結や深夜タクシー利用制限を目玉にしていると言うのだから笑ってしまう」
  「政権党のPTならば、官製談合や天下りの実態を掘り起こし、税金を勝手に流用する官僚の
不正な実態を徹底的に解明してもらいたい」
  「マッサージチェアの購入凍結やマイレージ制限などでお茶を濁されてたまらない」
  「官僚に対する政治家の力がその程度なら、政治家の存在こそが税金の無駄遣いの筆頭だ」

  などという内容です。まさにその通りだと思います。居酒屋タクシーなどは全くの論外であり、
無駄遣いの本丸ではありません。問題は霞ヶ関に巣食う「巨悪」です。ここに大鉈(おおなた)
を加えなければ、自民党PTの存在価値はありません。単なるポーズではなく腹をすえて、官僚
と徹底的に対決するという気構えでなければなりません。利権にしがみつき、政治家を見下して
いる官僚の抵抗は生半可なものではありません。
  必死の決意で取り組んでもらいたいものですが、自民党の責任者がPTの愛称は「ムダボ」な
どと言って笑って記者会見しているようでは、もともと期待する方が無理かも知れませんが 〜 。


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                ( 3月以前の分は、この冒頭に記載してある該当の月をリンクしてご覧ください。)