私の  「活動日記」 です!
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      (2008年9月分)


● 9月29日(月曜日)●

    新首相が所信表明で異例の逆質問。あせりの表れか?

 国会で麻生首相が所信表明演説をしました。切羽詰った表れか、民主党に対していくつもの質問
をしていました。質問をしても民主党には反問する機会もないのに、それを承知であんな質問をす
ると言うのは、余程、切羽詰った精神状態に陥っているせいかと思いました。ただ、発足早々の支
持率が50パーセントを切ってしまったのでは、愕然としてあんな異常な行動に出るのも解るよう
な気もします。

 先週に引き続き、今日も一日中、区議会の決算委員会。環境問題や土木関係の行政について質疑
を交わしました。


● 9月28日(日曜日)●

 おばあちゃんの納骨で香川県の善通寺市に行ってきました。

 6月に亡くなった妻の母親(和気幸子)の納骨で27日から香川県善通寺市に行ってきました。
高松市の隣のまちです。和気家は、以前は香川の名家で墓所のある金倉寺(こんぞうじ)は和気家
の祖先が建立したと言われています。和気家は、先祖を探っていくと空海さんの甥に当たる円珍さ
んにたどり着きます。滋賀の園城寺(三井寺)を建立した円珍さんは、四国八十八カ所の七十六番
目に当たるこの金倉寺で生まれたということです。境内には、樹齢1000年の楠があり、乃木大
将ゆかりの「妻返し松」と呼ばれている秀麗な松の木もありました。私は初めて訪問しましたが、
なかなか情緒がある寺でした。

 昨日、金倉寺で葬儀に関する一連の儀式を済ませ、その後、和気一族の墓地がある金林寺(こん
りんじ)のお墓に納骨しました。義母の夫は高校の先生をしていましたが、昭和25年(1950
年)、僅か45歳で亡くなりました。義母38歳の時でした。以来、随分苦労をしましたが96歳
まで元気な生活を送り天寿をまっとうしました。納骨の後、高松市に帰り、関係者に出席してもら
って「精進落とし」をしました。

 今日は、都合のつく人たちで金毘羅さんに行って来ました。私は近くまでは数回行ったことがあ
りますが、実際、有名な石段を登って本堂まで行くのは初めてです。貴重な体験をしました。
 夜、7時過ぎの飛行機で帰京、10時前に家に帰ってきました。亡くなって115日目にようや
く義母が生前に望んでいたところに無事に納めることが出来てホットしています。


● 9月25日(木曜日)●

    原子力空母、横須賀に入港。動く原発は出て行け!

 今日午前、横須賀に原子力空母の「ジョージ・ワシントン」が入港しました。原子力空母の日本
母港化です。アメリカ以外で原子力空母が「母港化」されるのは、横須賀が初めてのことです。動
く原発と言われています。もし、事故が発生した場合には、風向きにも寄りますが、首都圏一帯で
2000万人に影響が出るだろうと予測する科学者もいます。この動く原発で、毎日毎日、何機も
の戦闘機が離発着するのですから、危険きわまりありません。ぞっとします。極東の安全のためと
か、テロとの闘いの拠点とか言われたりしますが、「原子力空母なんかいない方が何よりも一番安
全」なのです。
 先日は、抗議のために横須賀に行きました。今日は、議会開会中なので行くことが出来ませんで
したが、とにかく、このような危険物は、さっさと出て行ってもらわなければ困ります。


● 9月24日(水曜日)●

      麻生内閣が発足。さっさと解散し、総選挙を!

 今日、麻生政権が誕生しました。テレビでは、恒例ともいえる街角のインタビューで、「新内閣
に期待することは~」などという番組を流していますが、私がこの内閣に期待することは、余計な
ことは一切しないでさっさと解散し、その上で争点を明確にして総選挙をして欲しいということで
す。とにかく、今の日本の政治は半身不随状態です。どうしようもありません。もう少しはまとも
になってもらわないと困ります。

 今日も一日中、区議会の決算委員会。総務関係の質疑をしましたが、私は、平和施策(加害者の
立場からの平和展など)、公益通報制度(不正な口利き防止制度)、契約業務(指名競争入札の増
加対策)、行政評価の進捗状況(外部評価の機能強化)、シンクタンク(新宿自治創造研究所)な
どについて質問をしました。新宿区役所は、毎週水曜日を「ノー・残業ディー」ですので、5時に
はぴったりと今日の会議を終了しました。


● 9月22日(月曜日)●

      自民党の新総裁決まる。総選挙では政権交代を!

 自民党の麻生太郎が第23代総裁に選出されました。もうすぐ臨時国会での指名を受けて組閣に
入ることになりますが、これで安部、福田に続いて三つの政権が国民の信任を得ていないで誕生す
るということになります。
 麻生新総裁は、面白いキャラクターの人のようですが、今までの発言をずっと聞いていても、傾
聴すべき確固とした「政治哲学」を持っているようにはとても思われません。このような政治家は、
人の琴線に触れ、市民の心に届く政治、そのことによって市民から大きな信頼を獲得するよう政治
を行った例(ためし)がありません。

 いずれにしてももうすぐ総選挙になりますが、とにかく、これまでの「自公政権」は、どうしよ
うもありません。この選挙では、是非、政権交代ということにしたいものです。

 朝から夕方5時まで、区議会の決算特別委員会に出席しました。今日は残っていた公明党の「総
括質問」を行い、その後「歳入」について議論しました。これからも10月10日まで延々と第三
回定例会が続きます。


● 9月21日(日曜日)●

      「議員は知らないことを質問してはダメです!」

 今日も昼前から区議会へ。議会の控室で決算委員会の質問の整理をしました。先日、明治大学で
2日間にわたって開かれた「市民と議員の条例づくり研修会」に参加しましたが、地方自治では著
名な大森 弥(わたる)先生が、どこかの県会議員が実に単純な質問をしたのを捕らえて、「議員
は解らないことを質問してはダメです。きちんと調べ、理解したうえで質問しなければ、全然、あ
なたの主張にはなりません」と忠告していました。この県会議員は、若い女性でしたが当選したば
かりというような感じでしたから、恐らく学校で先生に生徒が聞くような気持ちで質問したのでし
ょうが、私が聞いていても恥ずかしくなるくらい幼稚な質問でした。200人ぐらい参加者がいた
会場で、ビシッと忠告されたのですから、あの議員は、さぞ、恥ずかしかったと思いますが、しか
し、大森先生の言うことは実に最もなことなので、参加者は、当たり前のような受け止め方をして
いました。

 充分に調査し、理解したうえで質問し、自分の考えを主張するのは、当たり前のことです。今日
も半日余り、そうした気持ちで幾つかの質問項目について調査をしましたが、その結果、理解した
ということになったかどうかは、残念ながら確かではありません。


● 9月20日(土曜日)●

     バザーの品物集め、資料整理、次男夫婦宅を初訪問。

 台風一過の晴天でした。午前中は雨の予報でしたが、予想通りというか予報は全く外れました。
  私たちは、10月の初めに環境問題を考えるの展示会の一環として、チャリティー・バザーを行
うことにしていますが、品物を提供してくれる人がいましたので、午前中、何軒か集めて回りまし
た。「何でもいいですよ」とお願いしていますが、随分たくさんの方々から協力してもらっていま
す。お陰さまでこれまで随分集まっており、バザーは盛会に開催出来そうです。

 昼近くから夕方まで区議会の控室で決算委員会の質問の資料整理などをしました。
 夜は、連れ合いと共に5月半ばに結婚した次男のマンション(抜け弁天)を初めて訪問し、食事
をしながら談笑しました。新築されたばかりの綺麗なマンションでしたが、家賃は結構高いので四
苦八苦しているようです。


● 9月19日(金曜日)●

     決算委員会で総括質問、夜、結城准教授の講演会。

 決算委員会の二日目です。今日の冒頭、私は「総括質問」をしました。割り当て時間は答弁も含
めて80分だけしかないので、さまざまな問題に触れることは出来ません。今日は、①地域自治の
基本である「住民参加」を保障する最大の形態ともいえる区長選挙・区議会議員選挙の投票率を向
上させる対策、②歴史や文化を大切にしたこれからの新宿区のまちづくり、③分権改革を進め、国
から地方自治体への権限移譲と東京都から新宿区への税財政・事務事業の移譲と特別の制度改革、
④財政健全化法と新宿区の財政政策・財政運営、⑤道路特定財源の一般財源化やふるさと納税、な
どについて質問しました。

 夜6時からは、区役所の会議室で新宿区職員組合主催の講演会が開かれたので出席しました。講
師は結城康博・聖徳大学准教授です。彼は、一年半前まで新宿区役所の福祉関係の職場で仕事をし、
出身大学の先生に転じた新進気鋭の「学者」です。最近は、毎日のように みのもんた の朝の番組
や毎日新聞などに登場し、介護保険や後期高齢者医療保険の問題点を鋭く指摘しています。今日の
講演会もなかなか面白い内容でした。


● 9月17日(水曜日)●

    「世帯分離」で後期高齢者医療保険料は、大幅に軽減。

 今朝のテレビで、ささやかな年金所得者の家庭に大きな負担をもたらしている後期高齢者医療保
険の保険料を軽減するためには、「世帯分離」するのもひとつの方法だという報道がされていまし
た。「世帯分離」というのは、戸籍上の世帯主をどうするかというだけのことであり、夫婦がこれ
によって別居や離婚するとか、生活形態が変わるかということでは一切ありません。これまでと全
く同じ状態であり、単なる戸籍上の記載を変更することです。自治体によって「世帯分離」につい
ての対応が違っていますが、早速、新宿区ではどうかと調べてみたら、親子の世帯分離は、ほぼ無
条件で認め、夫婦の場合は「生活基盤がどうか」をみて対応するということでした。それでは「生
活基盤」とは、どういうことかというと厳密な定義はなく、夫婦それぞれにこれまで相当の収入が
あったか、などを尺度にしているようでした。若いとき共稼をしていた場合はこれに該当します。
このように夫婦に生活基盤があった場合は、世帯分離はほぼ認めているような感じがしました。
 今朝のテレビ報道では、合法的な世帯分離によって、奥さんの年間保険料が4万7000円から
6900円に、約4万円も軽減されるというのですから、単なる世帯主の変更ですむことならば、
「あなたもやってみたら~」と薦めたくもなります。それにしても、後期高齢者医療制度は、ひど
い制度です。廃止して、立て直すしかありません。

 今日は、昨日に引き続き区議会本会議場で各会派の代表質問と一般質問が行われました。夜8時
に終了しました。その後、決算委員会の理事会が持たれ、明日からの委員会運営について一時間ほ
ど協議しました。

● 9月16日(火曜日)●

     今日から議会開催。久しぶりに第一番で「代表質問」。

 新宿区議会の第三回定例会は今日から始まりました。私は、久しぶりにトップバッターで「代表
質問」を行いました。質問時間が25分だけなので、自治体制度改革や財政問題、文化芸術振興な
ど、私が特に関心を持っている問題だけしか取り上げることが出来ませんでした。今日の本会議で
は、自民党、公明党、共産党の各会派の代表がそれぞれ質問をしました。途中、2回の休憩をはさ
んで延々と続き、結局、終了したのは午後7時頃になりました。その後、すぐに結論を出さなけれ
ばならない先議の議案があったために、私が所属する総務区民委員会だけが開かれました。この委
員会も、始まる前はみんなで「すぐに終わるよ」などと言っていましたが、始まってみるといろい
ろと議論が続いて一時間ぐらいかかったために、結局、全部終了したのは夜の8時ごろになってし
まいました。

 明日も代表質問が行われますが、引き続いて一般質問、その後、議案提案が行われ、決算特別委
員会も開かれる予定になっています。決算委員会の運営に関する協議もありますので、全部終了す
るのは恐らく夜の8時ごろになるものと推定されます。

● 9月15日(月曜日)●

 敬老の日。一日中、区議会の議員室で決算委員会で行う「総括質問」の準備をしました。制度改
革や財政問題を中心に質問する予定です。


● 9月13日(土曜日)●

    3億円余の遺産寄付を、新宿区が放棄する議案を提出。

 昨日開かれた全員協議会で、16日から始まる定例区議会に提案される議案の説明がありました
が、その中に、ある人が新宿区に対して遺言で土地と建物を遺贈したのに、区はそれを放棄すると
いう「議案」がありました。遺贈を放棄するためには、議会の議決が必要なので、手続き上はこう
した扱いになりますが、私はどうしても納得できなかったのでその場で基本的な質疑をしました。
 区が時価3億円以上といわれる遺贈財産を放棄した理由は、相続人3人のうち、高齢の一人がそ
こに住んでおり、その人の生活を守らなければならないと思ったこと、他の相続人二人からも区に
対して放棄するよう「申出書」が提出されたことによるものです。

 私は、区が現在住宅に住んでいる高齢者の生活を無視していいとは全然思いませんが、このよう
な場合は、遺言を残した人の意思を実行するという観点に立った対応が必要です。遺言とは、死者
の意思を実現させるためにあるものだからです。遺言者は、自分が遺言として書いたことが確実に
実行されることを強く信じて、安心して亡くなったのかも知れません。

 しかし、新宿区が採った措置は、遺言を残した人の意思を全く無視しています。この場合、放棄
する以外に選択がなかったわけではありません。生存中は引き続き使ってもらう事だって出来ます。
その人が亡くなった後、区として活用するという選択は誰だってすぐに思い浮かぶことです。そう
すればいいのです。そもそも、遺言書を残した人は、法定の相続人に自分の財産を残したくなかっ
たのかもしれませんし、あるいは、自分の土地や建物を公的資産としては、例えば区民住宅などの
建設地として新宿区や区民の皆さんに使ってもらいたかったのかもしれません。

 遺言書は昭和41年ごろに書かれたもので、その後社会情勢が変わっているという説明もありま
したが、こんなことは何の理由にもなりません。形式が整っていれば、昨日書かれたものでも、5
0年前、100年前に書かれたものでも、その効力は全く一緒です。

 いずれにしても死者の意思を実現することが最良の選択なのであり、新宿区の取った措置は実に
おかしいと言わざるを得ません。昨日は議案の事前説明なので突っ込んだ質疑は遠慮しましたが、
いずれ私が所属する委員会に付託されたならば、もっと詳細な質疑をするつもりです。

 ところで、今日は朝から夜まで、議会の私の部屋で「決算委員会」で行う質問の整理をしました。
一旦考え始めるとあっちこっちに広がってしまい、なかなか収集がつかなくなります。


● 9月12日(金曜日)●

    「漱石山房復元区議会議員の会」として正式発足へ。

 今日から第三回定例会は実質的な開会になりましたが、全員協議会と議員講習会が終了した午後
3時から、(仮称)「漱石山房の復元を進める新宿区議会議員の会」の世話人会を開き、幾つかの
主要な事項について話し合いました。
 まず、正式名称は短縮して「漱石山房復元区議会議員の会」にすることを含め、規約の骨子をほ
ぼ固めました。私が文章を整理して、次回の世話人会で提案することにしました。正式の結成総会
は、漱石が漱石山房で亡くなった12月9日に「漱石忌」を兼ねて行ってはどうかということも話
題になり、その方向で検討することになりました。役員は、総会で正式に選出しますが、私は希望
通り事務局長に就任ことになりそうです。
 会としてどのような活動が出来るかは、今後、みんなで相談して決めますが、いずれに復元に向
けた機運を高め、漱石の事跡が新宿区でさらに一層評価されることになるようになればいいと思っ
ています。


● 9月10日(水曜日)●

   久しぶりに常任委員会開催。15件の報告がありました。

 区議会で一斉に常任委員会が開催されました。私が所属する総務区民委員会では、原油高騰に対
応して福祉施設などに対して行う助成策についてという中心的な議題の他に、一挙に17件もの報
告事項があり、朝から午後の3時までかかりました。
 報告事項の内容は、生活保護事業などで区が訴えられている何件かの訴訟事件や区施設の管理や
運営についての事業評価、文化芸術振興条例制定に向けての取り組み、区の施設建設に向けた資金
調達のための公募債、旧東戸山中学校跡地につくる施設建設の住民説明などについてです。

 委員会終了後、代表質問の原稿整理をし、一応、書き上げました。代表質問終了後は、すぐに決
算特別委員会が始まりますので、これからはその準備もしなければなりません。


● 9月9日(火曜日)●

    4つの課題を掲げ、15項目程度の代表質問をします。

 一日中、代表質問の原稿整理をしました。四つの項目を掲げて質問します。①福田首相の辞任と
新政権に対する要望、②財政健全化法と新宿区の財政政策、③地方自治の仕組みと住民参加のあり
方、④文化芸術の振興対策と地域の文化資源の掘り起こし、の四つです。項目は15ぐらいになり
ます。原稿はほぼ書き終わりました。明日、もう少し推敲して16日の本会議の代表質問に臨みた
いと思っています。


● 9月8日(月曜日)●

       相撲界激震の日に、相撲部屋を訪問しました。

 相撲界は大揺れで、ついに今日、北の湖理事長が辞任しました。この間、次々と引き起こされて
きたさまざまな不祥事の責任を取ったものですが、直接的には弟子が大麻を吸っていたことによる
ものです。当然の引責だと思いますが、伝統ある大相撲の現状を思うと嘆かわしい限りです。

 たまたま一緒になったというだけのことですが、今夜、新宿区役所の「稲門会」のメンバー20
人で浅草の千賀の浦部屋を訪問し、ちゃんこを食べながら親方や若手力士たちと懇談しました。親
方は現役時代、舛田山と言いましたが、当時はまだ珍しい大学出身の力士でした。最高位は関脇で
した。この部屋にはまだ十両以上の相撲取りはいませんが、ハンガリー出身の若手を初めとして幕
下には有望力士は随分いるということです。これからが楽しみです。
 今夜の企画はテレビやラジオで相撲放送などの仕事をしていた元区議会議員の細田勝さんが前々
から提案していたものです。数年ぶりにようやく実現しましたが、偶然、相撲界を揺るがす激震の
日と重なってしまいました。

 日中は朝から晩まで区議会で代表質問の調査や原稿書きをしました。16日から第三回定例区議
会が始まりますが、久しぶりにトップバッターで代表質問をします。明日、質問項目や大まかな質
問内容を区長サイドに知らせることになっています。


● 9月7日(日曜日)●

      18人が出席、50年ぶりに会った人も。

 久しぶりに小学校時代のクラス会が八戸市へで開かれたので行ってきました。現在、私たちの同
級生は亡くなった人を除くと33人いますが、全国から18人が参加しました。中学校を卒業して
以来、実に50年ぶりに会った人もいました。その人は青森県の南部にある小さな田舎で農業をし
ていますが、いまちょうど枝豆が美味しい時期なのだそうです。クラスの皆んなに自慢の枝豆を食
べてもらいたいと思って、朝、収穫して持ってくる準備をしていたのだそうですが、半世紀ぶりに
皆んなに会うそういう場に、はたして枝豆が適当かどうかあれこれ悩んだ末に、結局、持ってこな
かった(持ってこられなかった)ということでした。皆んなから「優子の作った枝豆を食べてみた
かった」と散々冷やかされていました。
 1泊2日という日程なので時間はあっという間に過ぎてしまいましたが、楽しいひと時を過ごす
ことが出来ました。


● 9月4日(木曜日)●

    津軽時代のクラス会、明後日 八戸で開催。楽しみです。

 6日と7日の両日、久しぶりに小学校時代のクラス会が開かれます。津軽半島の突端にある小さ
な小学校・中学校時代の仲間です。在学中の9年間は何人か転校や転入がありましたが、ほぼ同じ
メンバーで学校生活を送りました。卒業時は全員で38名でした。残念ながら、これまでに5人が
亡くなりました。クラス会の場所は各地から集まりやすいところということで、田舎にいる幹事さ
んが気を利かせて八戸市での開催することになりました。何人集まるか聞いていませんが、皆さん
と会うのが本当に楽しみです。
 私は、八戸市に行くならば、是非、訪問したいところがありますし、ついでに兄の家にも寄り、
母の見舞いもするつもりなので、一日早く明日の朝八戸に向けて出発します。7日の夜に帰ってき
ます。

 定例会の冒頭に「代表質問」をしますが、今日はその原稿書きをしましたが、あれこれと別の用
事が入ってきたためにちっとも進みませんでした。

 「漱石山房の復元を進める区議会議員の会」の発足の呼びかけをしていましたが、全員の賛成が
得られたので初めての「世話人会」を開きますが、ようやくその日程が決まりした。12日午後に
しました。この日をスタートにぴりりとした有効な活動をしたいと思っています。

 また、10月30日と31日に有志の議員で上越市議会を訪問し、先進的取り組みとして評価さ
れている「地域自治区」の活動状況について調査をするつもりでしたが、福田首相の突然の辞任に
よって衆議院の解散総選挙と時期的に重なる可能性が大きくなってしまいました。やむなく延期せ
ざるを得ません。視察の時期をどうするか、何人かで相談しました。

 ※ 5日(金)から7日(日)まで八戸市滞在。


● 9月3日(水曜日)●

      マスコミは、政策そっちのけで三面記事的な報道。

 福田首相の辞任表明を受けて、きのうもきょうも後継者をどうするかが最大の話題になっていま
す。二回も続けて無責任な政権の投げ出しが続いたのならば、次の人をどうするかという以前に、
まず、「選挙管理内閣」をつくって総選挙をし、国民の信託を受けることが憲政の常道だと思いま
すが、ほとんど誰もこのような「常識的なこと」は言いません。麻生がどうだとか、小池がどうだ
とかという、どうでもいい三面記事的な話がマスコミの報道の主流になっています。いつもの通り
と言ってしまえばそれまでですが、政界の面々はとにかくして、マスコミに生きる人たちは、いっ
たい自分たちが果たすべき使命とか任務とかをどう考えているのでしょうか。

 今のところ、麻生幹事長と小池元防衛大臣が有力な総裁候補(首相候補)だそうです。小池さん
についていうなら、無節操な政治家の典型で、私の最も嫌いタイプですが、何であんなのが候補者
として有力になるのか不思議でなりません。あんなのを担ぎ出さなければ選挙で闘えないというの
かも知れませんが、そうだとするならば、自民党の人材も随分とこんなものかと思わざるを得ませ
ん。政権党としての可能性はどこにあるのでしょうか。
 勝手なことを言うならば、小池などに比べる与謝野馨大臣の方が段違いに政治家としての政策を
持っています。税制改革の考え方は違いますが、その政策の是非を別にすれば、与謝野の方が節操
も政策もない小池よりは全く比較にならない程総理大臣にふさわしい人材ということが出来ます。

 今日午後、第九回目の「自治基本条例検討会議」に出席。終了後、自治・地方分権特別委員会の
小委員会開催。小委員会では、初めて条例に盛り込む具体的な課題について意見交換しました。今
日はまず、「前文」と「総則」について意見を出し合いました。


● 9月1日(月曜日)●

      8月は熱暑と豪雨、9月早々 政局異変。驚いた~ 。

 びっくりしました。夜9時半、会議を終えて家に帰ったらちょうど福田首相の記者会見が始まる
ところでした。辞任表明です。突然の辞任は全くの驚きですが、理由は必ずしも明確ではありませ
ん。国会で重要法案が通りそうもない、人気はちっとも上がらない、公明党からあれこれ要求が突
きつけられる、やりたくもないことをやらざるを得ない、などなどが重なって、臨時国会を前に嫌
気が差したのだと思います。心境としては解るような気もします。

 特に、公明党から出されたこの間のあからさま要求は党利党略そのものです。来年夏に都議選が
行われるから総選挙を早めろという主張は、この党の視野にあるのは自分の利害や創価学会の信者
だけであり、一般の国民でないことがますます明白になりました。
 また、例により「わが党の主張で実現した」という宣伝も使うであろう一律定額減税を行う財政
政策も充分に検討がされたのか全く疑問です。低所得者や中所得者への施策としては減税施策は有
効だし、必要なことですが、何千万円もの高所得者に対して、いまさら一律に減税することなどは
全然意味のないことです。かつて、公明党は「地域振興券」という奇妙な政策を唱え、子どものい
る家庭に一律にカネをバラマキましたが、あの馬鹿げた「財政政策」と共通した主張です。

 こんなことが重なって、福田首相は「オレ、やぁーめた」という心境になったのでしょうが、そ
れにしても国政の最高責任者として無二の地位にある人が、信じがたいほど簡単に辞任するという
事態に遭遇し、不思議な感じがしました。いまや完全に「自公政治」は終焉状態になりました。
 国民の信を問うしかありません。


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                (  9月以前の分は、この冒頭に記載してある該当の月をリンクしてご覧ください。)