私の 「活動日記」 です!
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      (2009年8月分)


● 8月31日(月曜日)

      地すべり的に民主圧勝、自公の大物が次々と落選。

 昨日行われた総選挙で事前の予想通り民主党が308議席を獲得して圧勝しました。自民党は
実に181議席減の119議席、公明は10議席減の21議席、共産、社民は現状維持でした。
 大物と称される人たちが次々と落選しました。自民は海部俊樹、中川昭一、山崎 拓などなど
です。公明も党代表の太田昭宏、幹事長の北側一雄、前幹事長の冬柴鉄三などが枕を並べて落選
しました。まさしく国民の「一票一揆」そのものです。

 ただ、政治がどうなるかはこれからの問題です。2009年8月30日が「歴史的な転換点で
あった」と筆太に記されるようになるためには、すべて今後の新政権の「政治運営」に負うこと
になります。

  来週発行の印刷物に小さな原稿を頼まれました。至急、次のような一文を書いて送りました。
 まさに「一票一揆」である。長い間待たされた総選挙で国民の怒りはあたかも「地殻変動」の
ように炸裂した▲さて、この選挙戦では本心と見間違う「失言」が幾つもあり批判を浴びた。あ
えてその代表的なものを挙げるならば、麻生首相の「金がねぇなら結婚するな」であり、舛添厚
生労働大臣の「怠け者に税金は使わぬ」であろう▲よくまあヌケヌケこんなことが言えるものだ
と呆れ返る。多くの若者を働いても僅かの貯えさえできない社会に放り出しながら、金がないの
を「自己責任」だと決め付けて憚らない厚顔無恥な無責任さ。この一言だけでも「宰相の資格な
し」だ▲次期自民党総裁に擬せられている舛添発言も「必死で生活再建を目指している方々に対
する侮辱だ」と旧派遣村関係者から痛烈な指弾を受けた。当然の指摘だ▲政権は変わるべくして
変わった。これからは、新政権党が持つ憲法問題などの危険な体質に対して、私たちには、厳し
く監視を続ける大きな責務がある


● 8月16日(日)~18日(火)●

   「見舞い」のために12日に八戸に帰りましたが、それを待っていたかのように、
 その夜、104歳の誕生日を目前にした母は静かに亡くなりました。私は葬儀の日
 程が旧盆と重なり延びたために、一旦、東京に帰っていましたが、16日からまた
 家族で八戸に行き、18日の夜遅く帰京しました。
   明日は朝早く所要で大阪に行き、21日に帰宅します。  



● 8月13日(木曜日)●

      103年と350日余り。有り難うございました。

 昨日の午後3時半ごろ八戸駅に到着。八戸線に乗り換えて陸奥湊駅で降り、迎えに来てくれた
兄の車でそのまま母がいる近くの特別養護老人ホームに直行しました。ほぼ一年ぶりの再会にな
ります。
 母は7月初めから肺炎になっていたので、施設に隣接する付属病院に入院していましたが、そ
の後病状も落ち着いてきたので、先月半ばには施設に帰っていました。私たちが行ったときには
栄養補給をしていた最中でしたが、時々笑ったり、頷いたりしていて、とても元気そうでした。
担当の看護士は「肺の機能もほぼ元の状態になった」「あと何年も何年も長生きするよ」などと
笑顔で話してくれました。私たちも「良かったねぇ~」などと言って、一時間半ほど一緒に過ご
し、「あした、またねぇ」と言って施設を後にしました。

 その後、兄の家に行って遅くまで一緒に夕食をとっていましたが、夜の10時直前に特別養護
老人ホームの医師から電話があり、「母の呼吸が急に停止した」ということでした。慌ててみん
なで施設に駆けつけたのが10時10分ぐらいでしたが、ちょうど命が燃え尽きたあとでした。
 母は日露戦争直後の1905年(明治38年)8月24日生まれでしたから、103年と35
0日余りの生涯でした。長寿でした。文字通り「天寿をまっとう」した思いがしています。

 今日は、葬儀屋さんや菩提寺と葬儀などの打ち合わせをしました。ちょうど旧盆の真っ只中で
あり、多くの檀家を抱えている大乗寺という菩提寺は一年で一番忙しい時期です。また、この地
方独特の風習や儀式があり、私にはよく理解できないところが一杯ありますが、とにかく、亡く
なった母や喪主を務める兄の意向で「ごく内輪の人だけで見送りをする」ことにし、私たちも香
典や供物・供花などは一切辞退することにしました。
 ここ数日は旧盆で関係者は最も多忙な時期なので、結局、通夜も告別式も来週初めに実施する
ことになりました。このような日程になったので、私たちは3、4日後にまた出直しをすること
になり、今日午後、急遽、八戸から自宅に帰ってきました。

 恒例にしていた一年一回の母の見舞いに訪れた昨日が、最後の見舞いになると共に永遠の別れ
ともなりました。ただ、それなりに元気な母の姿を見ることが出来、本当に良かったと思ってい
ます。貧しかった敗戦直後の津軽での生活を一人で支え、苦難の中で子どもたちを育て上げた母
には、本当に感謝しています。有り難うございました。


● 8月11日(火曜日)●

      高齢の母親の見舞いと墓参。八戸市へ行ってきます。

 毎年、旧盆には「墓参り」をしていますが、今年も明日から14日まで墓地のある八戸市に行
ってきます。前にも記しましたが、八戸市にはもうすぐ104歳になる母親が住んでいます。兄
夫婦が面倒を見ていますが、家のすぐ近くの特養ホームに入っています。100歳を過ぎた頃か
ら会うたびに衰弱してきました。最近は八戸から電話があるといつも、びっくりします。7月初
めにも危機的な状態でした。毎年、「これが最後になるかも~」と思ったりしますが、その思い
は年と共ににますます強くなります。
 東北新幹線で帰りますが、前もって準備していなかったので、結局「自由席」で行くことにな
りました。この時期ですから、随分混み合うだろうと思います。


● 8月10日(月曜日)●

    「やましき沈黙」。特攻作戦を当事者が検証した番組。

 夜、10時からNHKで放送された「日本海軍400時間の証言」を見ました。あの戦争の端
緒をきり開き、常に戦局をリードした「誇り高き海軍」の中枢にいた人たちが、戦後まもなく原
宿で「海軍反省会」を開いていましたが、番組はその集まりの模様を伝えたものです。
 昨夜から三連続で放映されるシリーズものの第二回です。今夜は「やましき沈黙」です。実に
見ごたえのある番組でした。

 人の体を兵器代わりにして体当たりする”特攻作戦”の歴史的な検証です。これまで特攻は、
現場将兵の熱意から始まったとだけ伝えられてきました。しかし、海軍反省会のテープは、「神
風特別攻撃隊」の一年以上前から『軍令部』が現場の熱意とは別に、組織的に計画、特攻兵器を
作り続けてきたことを、出席者は赤裸々に語っています。さらに軍令部の元参謀は、「特攻」は
あってはならない作戦と自覚しながらも、その計画を推進してきたと証言しています。

 海軍から始まり、陸軍にも広がっていった「特攻」で亡くなった将兵は実に5千人以上。その
ほとんどは20代の若者たち、夢多い有為の青年です。「戦争のいかなる激しい攻撃でも、一定
の割合で生きて帰れる可能性を持っているものだが、特攻はそれが全くない。絶対に許される戦
術ではない」。では、なぜ過ちと分かりながら当事者は「特攻」を推し進めていったのか。
 反省会の議論によって「特攻」を生んだ組織の姿を浮き彫りになっていきます。間違いだとわ
かっていながら、巨大な組織の中では「やましき沈黙」が次第に支配的になり、全体でその間違
いを「容認」していくことになるということです。形こそ違っても、この傾向は今の社会、特に
政治の場で脈々と生きています。

 自戒をこめて感じることですが、「やましき沈黙」は、「あってはならないこと」「小さくて
も声をあげなければならない」、また「例え小さな第一歩であっても、踏み出さなければならな
い時には勇気を持ってそうしなければならない」ということだと思います。

 今日は、党の「週刊・新社会」の配達や溜まっていたさまざまな雑務の整理をし、夜は新社会
党新宿総支部の執行委員会に出席しました。



● 8月7日(木)~9日(日)●

 衆議院選挙に兵庫一区(神戸市)から新社会党副委員長の原和美さんが立候補します。今回の
選挙で私たち新社会党が擁立する唯一の候補者です。全国的な力を集中して議席確保を目指して
います。この週末には、東京からも車で10人が神戸市に応援に駆けつけました。私はその責任
者として応援部隊に同行しました。

 現地では、私たちを初め、各地からた結集した大体250人ぐらいで行動しました。8日はか
んかん照りの酷暑、一転して9日は朝から雨でしたが、私たちは、駅頭・街頭で精力的に訴えた
のを初め、チラシの配布などもしました。

 9日の夜遅く帰京しましたが、お盆休暇と高速料金一律1000円ということもあり、予想通
り行きも帰りもとんでもない大渋滞に巻き込まれました。特に「行き」は、東京から京都付近ま
では順調に進み、早く着きすぎるので「時間調整が必要だ」などと話していましたが、そんでも
ない早とちりで、そこからは50キロ前後の渋滞が続きました。結局東京から神戸までは、15
時間もかかってしまいました。通常は8時間程度ということなので2倍の時間がかかったことに
なります。「帰り」もそれなりの渋滞に見舞われました。くたびれました。


● 8月6日(木曜日)●

   「核廃絶へ!」のオバマ演説を日本はどう受止めるのか。

 今日は1945年8月6日、ヒロシマに原爆が投下されてから64周年目の記念日です。
 広島平和公園で開催された記念式典そのものは、例年と同じ「セレモニー」ですが、今年はい
つもと状況が違います。それは、超核大国のアメリカが「核廃絶」を訴えたことです。

 今年4月5日、オバマ大統領がチェコのプラハで演説しました。オバマ大統領は「唯一、原子
爆弾を実戦で使った国」として、「核兵器の全面的な廃絶」を力強く訴えました。まさしく画期
的なこと、歴史的なことです。世界がこのオバマ大統領のアピールを真摯に受止め、「悪魔の兵
器」の廃絶に向かっていくことを心から期待します。秋葉広島市長も「平和宣言」でこのことに
触れ、「オバマ・ジョリティ」などという耳慣れないことまで提言をしていました。

 一方、原子爆弾の最初の犠牲者は日本です。世界で初めて、しかも二度にわたって原爆の犠牲
になった国として、日本こそ核兵器廃絶の先頭に立つ責務があると思います。その責務は、何よ
りもまず政府が果たさなければなりませんが、今、政府にはそうした自覚は、これっぽっちもあ
りません。麻生首相もヒロシマの式典に参加していましたが、首相の演説は、世界が、日本が、
ヒロシマ・ナガサキが期待する「核廃絶」に向けた高邁な決意ではなく、「核の傘」の必要性を
力説したものでした。全く場違いな感じがしました。この首相の言動に、いちいちがっかりした
り、あきれたりすることは必要ないし、無駄だと思いますが、この人に、平和を願い、平和を創
造していく理念も哲学もないことだけは改めてよく解りました。


● 8月5日(水曜日)●

   米人記者開放。一方、日本の拉致問題は半歩も進まず。

 昨日の昼に突如、北朝鮮を訪問したクリントン元大統領が、今日の朝、拘束されていた二人の
米人女性と共に日本経由で帰国しました。事前の周到な打ち合わせと準備があった結果ですが、
その事情を知らない私たちにとっては、突然の出来事のように感じられました。
 今回のこの出来事が、今後の朝鮮状態にどのような影響を及ぼすことになるのかわかりません
が、北朝鮮は例によって「将軍様の偉大な功績」とばかりに最大限に「活用」したい意向が見え
見えです。
 それにしても日本の拉致問題はどうなるのか。政府はこの問題解決に向けて確固とした取り組
みもしないで、もっぱら危機を煽り立てるために政治的に悪用し、また、この動きに付和雷同し
た連中は「日本核武装」とか、「先制敵地攻撃」などまで言い出している始末です。肝心の拉致
解決に向けての方向は、政府の「不作為」によって、この間、一歩どころか半歩も進展していま
せん。この紛れもない事実は、クリントン訪問を実現され、迅速に問題の解決を図ったアメリカ
の対応との違いを際立たせています。


● 8月4日(火曜日)●

    教育フォーラム開催。成果を次に繋げて欲しいもの。

 新宿文化センターで「新宿区教育フォーラム」が開かれました。講演とパネルでスカッション
です。劇作家の平田オリザさんが「新時代の学力、新時代の表現力」と演題で一時間ほど講演し
ましたが、大変に示唆に富む面白い内容でした。
 私なりの理解を一口で言うならば、「日本の教育は、一定の基準に依拠した画一的な結果を求
めやすいが、そうではなく、さまざまな異なる成果を大事にすることが大切」ということではな
かったか思います。今更言うまでもなく当たり前のことですが、当たり前のことが必ずしもその
ようになっていないから、繰り返し、こうした指摘があるのだと思います。
 今日もフィンランドの教育実態との比較が話されました。比べることは私にでも出来ますが、
「比べて生かす」ことがなければ本当に学んだことにはならず、どこにでもある単なる研究に過
ぎません。鳴り物入りの「ゆとり教育」が、いとも簡単に否定された現状を見ると、果たして日
本は、教育先進国に何を学ぼうとしているのか、理解しがたいものがあります。

 シンポジュームは、白井教育委員長、二人の区立小中学校長、連合PTA会長、スクールコー
ディネーターの5人がメンバーで司会役は葉養正明さん。白井教育委員長が随分意欲的に頑張っ
たりして、パネラー一人ひとりの話の中に傾聴に値する部分もありましたが、最後に会場からも
指摘があったように、焦点が不明確でとても「パネルデスカッション」と言えるような進行には
なっていませんでした。

 ただ、新宿区教育員会がこうした催しを行うことは実に有意義なことです。平日の昼の実施は
妥当か、周知方法はどうだったか、内容の構成は適切かなど、今日の総括をきちんと行って、次
の集まりにつなげて欲しいものだと思っています。

● 8月3日(月曜日)●

    新宿区障害者団体連合会の皆さんと懇談しました。

 午後1時半から2時間ほど、新宿区障害者センターで障団連(新宿区の障害者団体の連合体)
と懇談しました。肢体・視覚・聴覚・精神などそれぞれの団体の担当者から、新宿区や東京都な
ど行政で取り組んでもらいたい課題について説明を受け、意見交換しました。私は今度、区議会
では4年ぶりに福祉健康委員会に所属し、5月から福祉関係の担当をしていますが、今日は大変
有意義な懇談会でした。

 夜、四谷の事務所で開かれた新社会党東京都本部の執行委員会に出席。18日から注目の総選
挙が始まりますが、8日と9日の土日、新社会党から立候補している兵庫一区の原和美予定候補
の現地応援に行くことになりました。東京から8人で参加します。


● 8月1日(土曜日)●

   青森の岩木山麓で無農薬りんごの生産に取り組んだ男。

 『奇跡のりんご』(石川拓治著)という本を読みました。前々から読みたいと思って図書館に
予約していましたが、忘れた頃にやっと手元に届きました。りんごの生産を、農薬や肥料を使わ
ずに行うという絶対不可能と見られていた難事業を数年の苦節の末にやり遂げた木村秋則さんの
記録です。読みやすい本です。昨日の夜から未明にかけて、一気に読了しました。

 現在、生産されているりんごのほとんどは、私が子どもの頃に慣れ親しんだりんごとは全然違
います。カタチは綺麗、大きくて見栄えがいい、種類が多い、値段は高い、などなどの違いです。

 こうした「高級りんご」を育てるりんご園では、年に10数回も農薬が散布されます。この散
布によって多くの害虫は駆除されます。りんごの木は、自分の本来的な力というよりも、人間の
力、すなわち農薬や肥料の力によって二重三重に保護され、自力で生きるというよりは、生かさ
れているということになっていきます。
 こうした環境のりんご園の状況は、さかなや貝を養殖する状況と実によく似ています。

 木村さんは、このような農薬や人の力で手厚く保護されたりんごではなく、本来、りんごの木
自身の力で実ったりんご、すなわち無農薬のりんご生産を目指すのでした。
 しかし、農薬や肥料を使わないために虫のついたりんごの木は、抵抗できずに年々は枯れてい
きます。実も付けなくなります。木村さんは、「馬鹿げたことをしている」と周りの人たちから
も白眼視され、経済的にも厳しくなり、悪戦苦闘の数年間を送ることになります。

 木村さんは農薬使用以外のあらゆることを試みますが、効果は一向に現れません。ついに万策
尽き、自殺するために登った岩木山中で、木村さんはりんごの木の幻(実はどんぐりの木)を見
ます。「この山奥の木は農薬に保護されていないのに、なぜこんな立派に実をつけるのか」と自
問し、「コペルニクス的な発想転換」にめぐり合うことになります。そして、「りんご園を岩木
山中と同じ環境にすれば農薬は散布しなくても実はなる」ということを悟るのでした。すなわち、
りんご園内には雑草を生やせる、土壌も自然のままにする、特別な場合でない限り虫の駆除はし
ない、などです。

 このヒラメキを実行し、りんご園を「岩木山中と同じ環境」に置くことにより、ひ弱で枯れる
寸前のりんごの木は次第に強靭になっていきます。そして虫や風雨にも負けず、無農薬の状況で
あっても実をつけ、本来の甘いりんごを実らせるようになった、という話です。

 農薬を使用していたときのりんごの木の根の張り方は地中わずか数メートル。しかし、使わな
くなってからの木の根の張り方は、何と地中30メートル以上にもなったそうです。何年か前の
実りの時期に、津軽地方を襲った台風により、りんごが大量に落下して甚大な被害が出ました。
この時、木村さんが育てている無農薬のりんご畑のりんごの落下は、他の畑の農薬によって保護
されてきたりんご園に比べて格段に少なかったそうです。木村さんのりんごの木は、農薬を使わ
ないことにより、自分の力で自然環境に抗することを「自覚」し、虫に対しても風雨に対しても
随分と強くなっていたことの明確な証左です。

 「養殖りんご」から「天然りんご」へ劇的な変化です。木村さんの取り組みは、2006年1
月にNHKの「プロフェショナル・仕事の流儀」で放映され、異例の反響を呼んだそうですが、
私はそれを見ていませんでした。従って、今日読んだ本が、木村秋則さんとの初対面になります
が、実にすばらしい取り組みです。「信念岩をも通す」と言いますが、木村さんは実に強靭な精
神の持ち主であり、不屈の生き方だと思いました。



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              (  8月以前の分は、この冒頭に記載してある該当の月をリンクしてご覧ください。 )