私の 「活動日記」 です!
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      (2009年10月分)


● 10月31日(土曜日)●

    秩父宮ラグビー場で今年初の観戦、辛勝でした。


 今日は、午後2時から秩父宮ラグビー場で「早稲田対帝京」の一戦がありました。昨年敗れ
た相手です。何としても観戦したいと思って前々から日程の調整をし、駆けつけました。試合
は両チームが相譲らず全くの接戦でした。何と両軍ともトライはなし。ペナルティキックを2
本決めた早稲田が6対3で辛勝しました。サッカーのような得点です。早稲田の拙攻ばかりが
目立ちました。こんなメリハリのない試合をしていたのでは、これから先が思いやられます。

 スポーツシーズンですが、今日隣の神宮球場で早慶戦の第一試合が行われていました。秩父
宮ラグビー場の北側上方の観覧席からは神宮球場のスコアボードが見えます。私はそこに座っ
て早慶戦の得点経過についても見物していましたが、こちらは斉藤祐樹投手が攻略されて、最
終的には11対2で慶応に大敗を屈しました。ラグビーは凡戦でからくも辛勝、優勝をかけた
野球は大敗。全く面白くない時間を神宮で過ごすことになりました。

 今夜はその隣の国立競技場で、「ニュージランド対オーストラリア」のラグビー国際戦が行
われるということで、競技場の周りは観戦に向かう人でごった返していました。NZチームは
「オールブラックス」、豪州チームは「ワラビーズ]の愛称で全世界のラグビーファンに親し
まれています。羨ましい限りの試合であり、100年以上の歴史がある世界最高峰のライバル
対決です。世界一を決めるワールドカップを争うほどの「超好カード」ですから、全国からフ
ァンが駆けつけるのは当然ですが、入場料も1万5千円ぐらい、最低でも8千円ということで
した。本当に半端な値段ではありませんが、完売状態だそうです。

 午前中は新社会党の中央機関紙「週刊・新社会」の集金をしました。私が受け持って配達し
ている約100部の集金を、三ヶ月に一回行っています。購読料は月600円なので一回につ
き1800円集めます。留守が多くてなかなか大変です。3、4回行くのはざらです。わが家
で購読している朝日新聞の若い集金員の苦労がよくわかります。



● 10月30日(金曜日)●

    銀座のルパンで、林 忠彦が撮った太宰治の一枚。


 林忠彦の写真展「新宿・時代の貌―カストリ時代・文士の時代―」が明日から新宿区歴史博
物館で開催されますが、それに先立って、今日、「内覧会」が開かれました。

 招待状をいただいていたので出席しました。開会式には、林忠彦の出身地の山口県周防市の
市長、林忠彦の長男、坂口安吾の子息、「ルパン」の経営者なども出席していました。

 林忠彦は、日本の文壇を飾る多くの文士の写真を残していますが、私が最も印象的に思って
いるのは、太宰治を撮った一枚の有名な写真です。さまざまなところで紹介されていますが、
撮影場所は今も営業している銀座の「ルパン」です。

 この写真は、林忠彦が作家の織田作之助を何枚も撮った際に、その場のカウンターで飲んで
いた当時ほとんど無名に近かった新進の太宰治が、「織田作だけではなく、俺の写真も撮れ」
と言うので、全くついでに写してやったというものです。太宰治を写したこの写真は今まで、
何度も見ていますが、今日はじめて「本物」と対面することができました。感無量でした。

 太宰本人の要望を入れて撮ったというたった一枚の写真。これこそが写真家・林忠彦の名を
後世に大きく残すことになったのでした。まさに「歴史的な一枚」ということができます。写
真の右手前に背中を向けて座っているのは、坂口安吾だそうです。初めて知りました。

 なお、私の出身地の旧市浦村と太宰治が生まれた旧金木町は4年前の合併によって、現在は
同じ五所川原市になっています。今年は太宰治生誕100年で旧金木町の芦野公園には、マン
トを羽織り、下駄を履いた太宰の銅像が建立されました。私もその資金として「定額給付金」
を寄付しました。まだ、見ていませんがそのうちに訪れるつもりです。

 夕方、久しぶりに丸正前で一時間ほど「区政報告」の演説をしました。いつものようにいろ
いろな知り合いに会いました。

● 10月29日(木曜日)●

    精神障がい者の通所施設「ファロ」を見学しました。


 今日は区議会の福祉健康委員会の視察。委員みんなで三栄町にある精神障がい者の通所作業
所「ファロ」を訪ねて説明や施設の見学をしました。ここでは40数人の方が登録し、軽い作
業をしたり、リハビリを兼ねた訓練を受けています。症状の関係で毎日通所してくる人は半分
以下のようですが、私たちが施設に行ったときには絵葉書の作成やキムチなどを入れる袋の調
整(入れやすいように袋の状態を工作する作業)をしていました。

 施設の責任者から詳しく説明を受けました。大久保から三栄町に引っ越してしてきたのは2
年余り前のことです。前よりも随分広くなり、気分的にも随分ゆったりしているそうです。こ
のゆったりした雰囲気が大変重要だということです。いたるところに木造が使われていました
が、これも特別な意図によるものです。上品な喫茶店のような雰囲気でした。

 この種の施設の場合には、偏見から入所を断られたり、近隣の反対が起こったりしますが、
この建物の持ち主は、理解が深く、全然そのような問題はなかったということでした。それば
かりか、「ファロ」が入ったためにビルの別のフロアーを借りていた会社が転出するという動
きを見せたときには、大家は毅然として「どうぞ移って下さい」と言ったということです。大
家さんの気心に大変感銘しました。

 なお、「ファロ」はイタリア語で「灯台」という意味だそうです。施設を運営している人た
ちと気持ちが伝わってくる気がします。いい名前です。


● 10月27日(火曜日)●

     来年度の「予算要望書」、月末には提出へ。


 新宿区でも2010年度に向けて、予算編成作業が始まっています。私が所属する「社会新
宿区議会議員団」は、毎年いまの時期に大体180項目程度の「予算要望書」を区長に提出し
ていますが、今日、要望書づくりの検討をほぼ終えました。これから若干の加筆をしたり、部
分的な入れ替えなどの修正をして、今月中には区長に提出します。

 午後4時から自治基本条例制定に向けての小委員会が開かれ、引き続き6時半から区民・行
政・議会三者(学識座長を入れて19人で構成)の「基本条例検討会議」が開催されました。
 この三者で今後検討する課題は山積みされていますが、最終的な「条例素案」は来年7月ま
でには作成し、区長に提出することを確認しました。区長はそれを正式に条文化して10年9
月から10月にかけて開かれる第三回定例区議会に議案として提案することになります。

 私の大先輩に当たる自民党の長森孝吉さんが25日に亡くなりました。今夜がお通夜、明日
が告別式です。今夜は会議で出席できなかったので、明日の告別式で出席してお別れするつも
りです。長森さんは自民党の中でも、理屈っぽいところがあり、特に保守的な考えにこり固ま
った人でした。思想的には私と対極に位置していて本会議などの質問などでは随分野次られま
したが、なぜかとても気心が合うところがあって、いろいろなところで率直に議論することが
ありました。その一貫した「良き保守思想」には、敬服するところもありました。まだ、僅か
79歳。早すぎる逝去で残念な思いがしています。


● 10月26日(月曜日)●

    内藤新宿のえにし。伊那市議会との交流会開催。


 新宿区は信州・高遠藩の屋敷があった内藤新宿の関係で長野県の高遠町と友好都市の関係を
結んでいましたが、現在は高遠町と合併した伊那市とその関係を継続しています。二年に一度、
両市の議会は交互に交流会を開いていますが、今年は伊那市議会の皆さんが新宿区議会を訪れ
ました。今日は新宿内のまちなみを見てもらうということで神楽坂一帯を視察する予定でした
が、台風の影響で大雨になったので、代わりに東京都防災センターの視察になりました。
 夜は、両市議会のほぼ全員が参加して交流会が開かれました。私も旧知の議員が何人もいる
ので、議会活動のやり方とか住民に対する対応などについて久しぶりに話が弾みました。

 今日から臨時国会が始まりました。冒頭、鳩山首相の所信表明演説がありましたが、なかな
か味のある内容でした。少なくても自民・公明の役人主導の政治とは違うという印象を持ちま
した。具体的な論戦はこれから始まりますが、腐れきったこれまでの政治の大掃除を徹底的に
してほしいものだと思っています。


● 10月24日(土曜日)●


    秋声の弟子・小寺菊子は新宿の大久保で文筆活動。


 今日は珍しく決まった予定がなかったので、ゆっくり寝ているつもりでしたが、早々と目が
覚めてしまいました。午前中は久しぶりに神宮外苑を散歩。銀杏並木はまだ緑いっぱいという
感じで黄色に変わるのは大分先のことになりそうです。秩父宮ラグビー場の脇を通った時には、
入ろうかどうか大いに迷いましたが、ラグビー観戦をしていたので運動になりませんので、我
慢しました。隣の神宮球場では立教vs東大、明治vs法政戦。東京六大学野球もいよいよ最終段
階で来週は早慶戦です。早・明・法の三校の優勝争いですが、早慶戦で早稲田が勝ち点を上げ
ると優勝です。その隣の神宮第二球場では東京都秋季高校野球の準決勝戦。この戦いで勝利し
た二校は来春の「選抜」で甲子園行きがほぼ決定になるのではないかと思います。

 午後は、四谷図書館に行って帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)の『アフリカの蹄』を借りて
きました。南アフリカの黒人差別問題を扱ったものです。この本は、ある人からいただき、半
分ぐらいまで読んでいましたが、先日、金沢のホテルにうっかり忘れてきてしまいました。チ
ェックアウト後、ホテルに問い合わせたら、見つからないということでした。文庫本なので捨
てられてしまったのかも知れません。購入するのに躊躇していましたが、四谷図書館に問い合
わせたら、四谷にはなかったけれどもすぐに他館から取り寄せてくれました。


 先日開かれた金沢での「研修フォーラム」に関連したことです。研修会が終わった後、市内
を流れる浅田川べりにある徳田秋声記念館に行ったことは22日の日記に書きましたが、ここ
で新しい発見をしました。

 たまたま秋声記念館では「小寺菊子展」が開かれていましたが、この方は秋声に師事し、明
治後半から昭和中期まで作品を発表し続け、1956(昭和31)年に76歳で亡くなってい
ます。いまは女性の作家はいっぱいいますが、小寺菊子は日本の「職業女流作家」のさきがけ
になった人と言われています。

 展示されていた略歴を見ていて驚きましたが、小寺菊子は大正初期から戦争終了直前まで新
宿の大久保に住んでいて、ここで新婚時代をおくり、その後の旺盛な文筆活動の拠点にしてい
たのでした。大久保の自宅は戦災で焼失し、他所に移転しましたが、新宿には30年以上も居
住した作家です。

 新宿区に住み、活躍した女性については、新宿区が発行した「区内に在住した文学者たち」
(217名)のリストからも漏れています。小寺菊子の文筆活動は、恐らく新宿区と結び付け
られてはいないのかもしれませんが、決して忘れられてはならない人だと思います。

 小寺菊子が新宿区に住み、津田梅子や与謝野晶子などと旺盛な交流を重ね、早稲田の大隈重
信侯の「文士招待会」にも出席し、この場所から多くの作品を発表し続けた事実は、私にとっ
ては実に大きな発見でした。今後、何んらかの形で「新宿時代の小寺菊子」が研究されればい
いなあと思っています。


● 10月23日(金曜日)●

   公園の樹木に対して水をやるのでも、
    国家公務員か地方公務員かで、育ち方が違う?

 きのう記載した金沢市で開かれた「議会研修フォーラム」の続きです。

 このフォーラムでは、冒頭、地方分権改革推進委員会の丹羽宇一郎委員長(伊藤忠会長)の
基調報告がありました。
 つい先日、この委員会は「第三次勧告」を明らかにし、総理大臣に答申したばかりです。勧
告は新しい「国と地方のあり方を示す指針」として、高く評価されているものです。膨大な内
容なので、私も主要な一部しか点検していませんが、稀代の労作であり、大変すばらしい勧告
だと思っています。もうすぐ明らかにされる「第四次勧告」も大いに期待されます。

 丹羽委員長は基調報告で、「とにかくこの勧告を活用してほしい」ということを繰り返し訴
えていました。講演ではあるエピソードを紹介していましたが、地方自治体でやるべき仕事を
国が抱え込んでいる理由にされるのは、「公園の樹木に水をやるのに、国家公務員がその計画
をし、実施すると樹木の育ちがいい。一方、地方公務員が計画し、実施すると樹木の育ちが悪
い」という類の国側の主張なのだそうです。

 全くばかげた信じがたい話ですが、このような論拠のない幼稚極まりない主張がまかり通っ
て、結果的には未だに膨大な事務事業が国の役人の手元に留保されているのです。そして、財
源配分のいい道具にされ、いつまでも中央支配が貫徹されることになっているのです。

 丹羽委員長は、「私たちはこうした現状を抜本的に改革せよと勧告をした。ぜひ、これを積
極的に受け止めてほしい。改革の成否は、皆さん方、議会の対応にもかかっいる」と主張して
いました。その通りだと思いました。大変印象的な報告を聞くことができました。


 今日は、来年度の予算編成に向けて、社会新宿区議会議員団として区長に提出する「201
0年度予算要望書」の作成作業をしました。毎年、今の時期に行っているものですが、これか
ら何日かかけ、充分に精査して纏め上げたいと思っています。大体、180項目ぐらいの施策
を想定していますが、あれもこれも羅列するのではなく、なるべくコンパクトな「要望書」に
したいと思っています。今月中には区長に提出するつもりです。

 午後一時半から、旧東戸山中学校の跡地に建設する子ども発育支援関連施設の起工式があっ
たので出席しました。勤労者支援・仕事支援関連の施設も併設されます。完成は11年3月末
の予定です。また、別棟には28ベットの「小規模特別養護老人ホーム」が設置されますが、
工事はすでに始まっていました。


● 10月22日(木曜日)●

     金沢で開催された全国議長会主催の研修会に参加。

  全国の自治体議会で改革が進展、新宿区議会は取り残されている感じ。


  毎年一回、全国の市議会議員を対象に開催されている全国市議会議長会主催の「議会研究
フォーラム」が21日と22日に金沢市で開かれましたので出席しました。

 今年のテーマは地方分権への対応、地方議会の改革、新時代の議員活動など多様です。議会
基本条例の制定などで積極的な取り組みをしているいくつかの自治体議会から報告があり、そ
れに基づいて議論が進められましたが、実に参考になりました。

 定例会が終了するごとに、議会が議会主催で住民に対してその報告をしているところなどは、
今は全く珍しいことではなく、ごく一般的になっています。議会基本条例の制定も今年中には
100議会を超える勢いです。あと一年も経つと、さらに劇的に変わっていくような気がしま
す。のほ~ほんとしているのは、余程、感度の弱い議会ということになりかねません。

 翻って新宿区議会を見てみるとどうでしょう。一時は随分議会改革が進み、先進的な取り組
みとして注目を受けることもありました。しかし、07年の改選以降はほとんど見るべく改革
の実績を残していません。課題は山ほどあるにも関わらずです。せっかく議会改革を目的にし
た特別委員会まで作ったのに、ほとんど機能していないのではないというのが実態です。
 全国各地の先進的な取り組み(先進的というよりは当たり前の取り組みですが~)を聞いて
いると、新宿区議会は次第に取り残されている感じがします。

 新宿区議会では、以前に私が提起した「議会モニター制度の創設」にしても、「政策研究委
員会の設置」にしても、課題になっているにもかかわらず、この間、議会改革の特別委員会で
は議論が進展していません。議会基本条例制定に向けての動きも停滞したままです。なぜこう
した状態に陥っているのか。委員会総体として目的意識が欠落しているからに他なりません。
こんなことでは、「議会の動きが全く見えない」「議員はいったい何をしているのか」「議員
を半分ぐらいにしろ」「それでも多い」「そもそも報酬が高すぎる」などといった区民からの
批判が強まることになりかねません。議会がこうした状態では、批判も当たり前です。

 議会のあり方は不断に見直さなければなりません。しかし、新宿区議会でそれが何年も「停
滞」しているということは、取りも直さず議会改革の動きが「後退」しているということです。

 今日の研修会の発言のひとつです。ある人の言葉として次のようなことが紹介されました。
 明日、「あなたのまちの議会がなくなるそうですよ・・」ということを聞いて、「それは困
った・・」と答える人はいないのではないか?

 こんなことが新宿議会で起こらないとも限りません。


【 追記 】

 二日間にわたった「研修会」の主要な日程は今日の午前中で終わり、午後からは各地域の視
察が行われました。明日まで続く視察もありましたが、私は午前中までの参加で、視察には行
きませんでした。帰りの飛行機に乗るために金沢市を離れるまで4時間余り時間があったので、
駆け足の状態で、金沢を代表する三大文豪と言われる「室生犀星記念館」「徳田秋声記念館」
「泉鏡花記念館」を訪れました。ただ、最後の「泉鏡花記念館」は臨時休館で入ることができ
ず残念でした。代わりに「金沢文学館」を見てきました。いい時間を送りましたが、大変くた
びれました。


● 10月20日(火曜日)●

     新自由主義の象徴・郵政民営化の終焉が辞任。


 一時、日本でも、政治や経済の主流を占めた「新自由主義」の考えは、弱肉強食の考えの下
で何もかも競争しあうのが大きな特長であり、生みだされた結果については「自己責任」が強
く要求されるものでした。その象徴が小泉政権下で進められたさまざまな政策ですが、その本
質を見抜けなかった国民の多くは、小泉首相の「ワンフレーズ政治」に惑わされ、猫も杓子も
これを支持しました。

 その結果生み出されたのが、いまもこの社会を重く覆っている「格差の拡大」です。そして、
その象徴ともいえるのが「郵政民営化」ですが、ようやく今日、先導的に役割を果たしてきた
西川社長が、新政権の要請に抗し切れずに辞任しました。

 随分時間がかかりましたが、「小泉・格差容認政権」の終焉を感じさせる動きです。民営化
される以前の郵便事業は、長い間、全国各地で地域社会の中核的な役割を果たしてきました。
新政権でこれから再生される郵政事業は、再びこうした重要な任務を帯び、地域住民に信頼さ
れる存在になるように強く期待しています。


 昨日から新型インフルエンザの接種が始まりました。第一陣は医療関係者です。テレビの報
道によると、一般の市民がいま最も知りたがっていることは、「はたして自分は、いつごろ、
どこで、幾らの費用で接種できるのか?」ということだそうです。医療施設や自治体の関係機
関には、こうした疑問に関して市民からの問い合わせが殺到しているとも報じています。あた
かも「なだれをうって、ワクチン接種へ殺到!」と言わんばかりです。日本の国民性を表して
いる一面があります。



● 10月19日(月曜日)●

    今日から「新型インフル」のワクチン接種始まる。


 私は、ある週刊紙から「短い原稿」(365字以内)を頼まれていたので、下記のような一文
を書いて送りました。ワクチン接種は効果的かも知れませんが、決して万能薬でも天下無二の妙
薬でもないので、やみくもに接種のみを求めるのではなく、もっと重要な「予防対策」にこそ日
常的に留意すべきだということを言いたかったのです。次の通りです。

 新型インフルエンザの感染が急激な広がりを見せる中で、まず医療従事者から注目のワクチン
接種が始まった▲11月中旬からは妊婦、最優先の基礎疾患保有者、幼児、小児保護者、児童生
徒、65歳以上の高齢者へと接種は順次拡大されていく▲国や自治体は準備作業に追われている
が、供給不足の情報からか「とにかく一刻も早く接種を!」という先を争う動きも報じられてい
る▲しかし、接種以上に大事なことは、体調管理に充分留意し、常に清潔さを保つ周到な予防対
策であろう▲ワクチン接種には副作用問題もある。今回の大規模接種による人体への影響は全く
予知できていない。妊婦や胎児への影響調査はこれから始まる状態だ。特に英国の製薬会社によ
る日本政府への「損害賠償免責」の要求は、副作用発症の懸念を裏付けるものだ▲ワクチンは万
能ではない。接種を受けるか否かは本人次第。個々人の冷静な判断が必要だ。



● 10月16日(金曜日)●

    12月9日の「漱石忌」に講演会を開催します。

     講師は漱石の孫の半藤末利子さんです。

 今年の12月9日午後1時半から、新宿区議会大会議室で「漱石山房の復元を進める新宿区議
会議員の会」の講演会を開く準備を進めています。この会は、昨年秋に私が結成の呼びかけをし
たものですが、幸い全部の区議会議員が参加してくれました。
 今日、講演会の講師は漱石の孫に当たる半藤末利子さんに決まりました。漱石の長女・筆子さ
んの長女です。電話でお願いしたら、快く引き受けてたので、ほっとしました。
 具体的な計画はこれから進めますが、区民の皆さんに参加を呼びかけることも検討しています。
12月9日は漱石の命日(漱石忌)にあたります。講演会の後は、希望者で漱石が眠る雑司が谷
霊園への墓参や交流会も企画しています。有意義な集まりにしたいと思っています。

 今日は新宿区議会第三回定例会の最終日です。追加議案で「新型インフルエンザ」関連の予算
案と子育て関連施設の契約案件が提出されましたが、それを含めてすべて議案を議決し、終了し
ました。今定例会は、08年度の決算審議あったために、一ヶ月にも及ぶ長丁場になりました。
 私は、今日の本会議で08年度決算の5会計に対する討論を行い、定額給付金の支給や新宿駅
東西自由通路建設の費用負担、オリンピック招致活動の無駄遣い、約3億円の遺贈放棄問題など
を指摘し、反対しました



● 10月15日(木曜日)●

    今日支給の年金から「住民税」が差し引かれます。


 今日支給される公的年金から新たに「住民税」が差し引かれます。今年新たらしく導入された
やり方です。昨年、後期高齢者医療制度の保険料が差し引かれた際には、高齢者から大反対の声
が出されました。新宿区役所の窓口も照会や抗議の人たちでいっぱいでした。

 今回、年金から天引きされる人は、年金受給者2800万人の内の約600万人だそうです。
今のところは後期高齢者保険料の時ほどには反対の声が強くないような気がしますが、この新制
度を知らないで、今日、実際に年金を受け取った人はびっくりし、惑う筈です。
 私のところにも一住民から「こんな天引きの知らせが来たけれども、新たに税金が引かれるの
か」と言った苦情が寄せられています。

 一回に何十万円もの年金を受け取っている人ならとにかく、高齢者のほとんどの人たちが受け
取る年金は僅かの額です。そうした中から「後期高齢者医療保険料」「介護保険保険料」それに
今度は「住民税」とどんどん差し引かれたら、いったい手元に幾ら残るのでしょうか。「いずれ
にしても納めなければならない税金だから天引きされよとされまいと同じだ」という論法は余り
にも無茶な考えです。こうしたやり方・制度には怒りを覚えます。


● 10月13日(火曜日)●

    今日の私の動きを時系列的に記載てみました。


 10時から12時までは「自治・地方分権特別委員会」。
 12時過ぎから「福祉健康委員会」の理事会で、精神障害者の福祉手当の財源を国と都に求め
る意見書案文の調整。会派内で意見調整が出来ていないということで自公委員が提出に反対した
ためまとまらず。次の定例会に積み残す。
 1時半から「議会運営委員会」の理事会。ここでも意見書案文の調整。何本かは合意。私が提
出した「公契約法」の制定を国に求める意見書は自公民共が賛成。しかし、無所属会派の反対で
断念。反対理由は「公契約法」に対する全くの誤解にもとづくもの。こうした理由で反対するの
は驚くばかり。新宿区議会は一会派でも反対したら断念することになっているので折角の「公契
約法」の意見書の提出は一会派の無理解のために断念。残念というより馬鹿らしくなる。
 その後、2時半から東京女子医大病院で2ヶ月に一度、定期的に行っている健康診断。血液検
査では、尿酸値も血糖値もまあまあ。「異常なし」。遅い昼食。
 4時に区役所に帰り、決算特別委員会の「少数意見報告」の原稿書きや「漱石山房の復元を進
める要望書」(案)の作成。出来上がった。
 6時から四谷の事務所で「新社会党新宿総支部執行委員会」。9時前から事務所近くの知り合
いの小さな飲み屋さんで、この間の活動の「反省会」を口実にした飲み会。7~8人出席。

    新政権の政治を問う私たち自身も問われている。

 いままで停滞し、澱んでいた政治が、政権交代後は、毎日、活発に動いているという感じがし
ます。すべてが望ましい方向とはいえませんが、少なくても国民・市民の声が中央役人に丸め込
まれてしまっていた自公政治とは、様変わりしている印象を持ちます。

 今日、北沢防衛大臣はインド洋での給油支援は一時撤収することを明らかにしました。前原国
交大臣が、羽田の「ハブ空港化方針」を打ち出しました。農水省がコメを対象にした「戸別所得
保障制度」の実施方針を固め、文部科学省が「教員免許更新制度」を廃止する方針だと発表しま
した。全国一律学力テストも見直しをするということです。その他にもいろいろあります。

 こうした動きのすべてに無条件で賛成することはできませんが、官僚たちの手のひらで踊って
いて、結局役人の思い通りになり、国民は隅っこに放置されていた自公政治では考えられなかっ
た状況と言えます。私たちの責任は、こうした動き奨励しつつ、厳しく政治を監視することです。
 新しい政治状況では、民主党のひとつひとつの政治が問われていると共に、私たち国民自身も
一緒に試されていると言うことができます。


● 10月11日(日曜日)●

    ヒロシマ・ナガサキがオリンピック招致に向け準備。


 先日、2016年のオリンピック開催都市がリオディジャネイロに決まったばかりですが、東
京の落選を受けて、ヒロシマとナガサキがリオの次の開催都市に立候補する意向と報じられてい
ました。報道の通り、今日、両氏の市長が記者会見して招致への名乗りを上げる準備を始めるこ
とを明らかにしました。
 五輪の招致都市は一カ国一都市になっていますので、この規定のクリアが第一の課題ですし、
施設整備や財政支援など難問題が山積みですが、世界最大のスポーツの祭典を通して全世界に核
廃絶と平和の希求を訴えることができるならば、何のために五輪を招致するのか最後まで全く不
鮮明だった「東京開催」などよりは遥かに明確でインパクトの強い理念をアピールすることが可
能です。極めて有力な候補地になるのは明らかだと思います。
 ただ、全体的にどのようなオリンピック開催の青写真を描き得るのかが最大の問題だと思いま
す。招致の成功を祈って大いに注目したいと思います。

 昨日と今日、二日間の日程で新社会党東京都本部の「党学校」が都内で開催されました。先に
行われた総選挙の分析や新政権によるさまざまな政策の分析などを行い、私たちの基本的な対応
などについて意見交換をしました。来年二月に行われる日野市議会議員選挙に立候補する鷲尾予
定候補の決意表明もありました。


● 10月9日(金曜日)●

    精神障害者の差別是正を図る議員提出議案は否決。


 今日も議会では四つの常任委員会が開催されました。私が所属する福祉健康委員会では、共産
党区議団から提出された「精神障害者」への手当支給議案が採決され、否決になりました。15
年以上前に改正された障害者基本法では、「精神障害者」は「身体障害者」や「知的障害者」と
同等に処遇されることになっていますが、「精神障害者」だけはいまだに福祉手当が支給されて
いません。全くの差別です。私は「法の精神」に違反し、国や自治体による「行政の不作為」だ
とさえ思っていますが、賛否が問われた手当支給議案は、そうした長年の差別を解消し、精神・
身体・知の三障害を同等に扱うというものです。私は当然の措置だと思って賛成しましたが、自
民と公明の議員が財政措置を理由に反対したために否決になりました。自民・公明の議員もこれ
が共産党議員団の提案ではなく、中山区長が提案した議案だったならば当然のことのようにもろ
手を挙げて賛成したことだと思います。否決は残念なことでした。

 びっくりしたニュースでした。オバマ大統領がノーベル賞平和賞を受賞したことです。今年4
月5日の核廃絶を訴えたプラハでの演説は素晴らしいもので、世界平和の方向に一筋の光明をも
たらしました。ただ、ブラハ演説もイスラムとの対話を訴えた6月4日のカイロでの演説も具体
的な実績を記したものではないだけに、今度の受賞は「期待の一票」という感じがしました。
 この期待の一票が、これからの世界平和の構築に壮大な影響を及ぼすことになってほしいもの
だと思っています。


● 10月8日(木曜日)●

    強い勢力の台風襲来。しかし、区内の被害は僅少に。


 まれに見る強い勢力の台風18号が本土に上陸し、北上しましたが、新宿区の被害は床下浸水
一軒、数本の倒木、浸水被害や道路冠水が5、6ケ所などでごく僅かものにとどまりました。
 昨夜、区役所では台風の被害に備えて各職場で100人以上の職員が待機し、警戒に当たりま
したが、僅少の被害で済んで本当によかったと思っています。全国的に見てもここ数年では最強
の台風といわれたわりは被害は少なかったようです。
 当初の予想では、本土を北上し、私のふるさとの青森地方を直撃するものと思われました。そ
うなると収穫期に入ったが、りんこが落下し、大被害になると心配しましたが、幸い進路はずっ
と東側にずれたために、青森のりんご農園もごく僅かの落下で済んだようです。ただ、岩手県地
方のりんごは、残念ながら大きな被害を蒙ったということでした。

 区議会は今日から常任委員会が始まりました。区長提出の議案と共に議員提出の議案について
も審議しました。昼休みには、私が事務局長を務めている「漱石山房の復元を進める新宿区議会
議員の会」の世話人会も開かれました。今年の「漱石忌」(12月9日)の開催要領などについ
て意見交換しました。


● 10月6日(火曜日)●

    決算委員会の最終日。最終質疑と討論が行われました。


 今日は決算委員会の最終日です。「締めくくり質問」と賛否の「討論」が行われました。
 私は、締めくくり質問では、①労働条件を良好なものにするために「公契約条例」を制定する
ことの必要性、②一年前に約3億円の遺贈を新宿区が放棄した問題とその後の対応、③中山区長
の「マニフェスト」の達成状況と評価の公表、④特別区の制度改革を図るための到達点と問題点
について質問をしました。

 ①の公契約条例の関係ですが、区は「社会的価値を実現するために必要な検討を進めている。
今年度中には指針を作る」と積極的な答弁していました。しかし、質疑をしてみると、いま最も
肝心な働く人たちの賃金を含めた労働条件を明確に守っていくという姿勢はまったく感じられま
せんでした。先月末、野田市が全国で初めて制定した条例の水準に達するような指針を考えてい
るようでもなさそうなので少々がっかりしました。社会的価値を全体的に実現するために、しっ
かりしたものを作るなどと高邁なことを言っていながら、質疑を終えた感想は、まことに心もと
ない限りでした。「役に立たないものだったら作る必要もない」と言ったら、担当部長はむっと
していました。

 ②の「遺贈の権利放棄」ですが、区長が遺言者の意思を無視して土地・家屋の遺贈の放棄を決
定し、ちょうど一年前に関係議案を議会に出してきました。私のこの遺贈の権利放棄には疑問を
持ち、本会議でさまざまな理由を挙げて「反対討論」を行いました。残念ながら議案は賛成多数
で可決され、遺言者から時価約3億円程度と言われる遺贈は不受理の扱いになりました。今日は
その後の区の対応について、幾つか質問をしましたが、相続人には議会で反対の討論があったこ
となどについては伝えてあるということでした。また、区は定期的に相続財産の登記上の動きな
どについてはチェックしているということでした。必要な対応はしていると感じました。

 ③の区長の「マニフェスト」ですが、三年前の区長選挙の際に中山候補(区長)が掲げたもの
です。「50の施策」の実現をうたっており、私が一つ一つ点検した限りでは、幾つか手付かず
の施策はありますが、大半は実施されたか、実施されつつある状況にあります。区長選挙で区民
に約束した方向で中山区政は運営されていると感じます。
 ただ、このマニフェストでは毎年、実施状況を点検し、評価して区民に公表することも約束し
ていますが、このことは今まで一度もできていません。私は、昨年3月の予算委員会でもこの点
を指摘して実施するよう要請し、区長は早急に行う決意を述べていました。にもかかわらず、今
日の質疑では「そうした気持ちはない」ということでした。びっくりしました。理解に苦しむ態
度変更ですが、そうであるならば、なぜ、区民に約束した「点検・評価・公表」は行わないこと
にしたのか位は明らかにしないのか、マニフェストを本当に大事にする姿勢ならその程度のこと
はする必要があるのではないかと感じたところです。

 ④の特別区の制度改革に関する問題ですが、合併や道州制が唱えられる中で、特別区が制度的
にどうなるかは極めて重要な課題です。しかし、せっかく2年前に専門家から重要な内容の提言
を受けながら、これまでずっとたなざらしの状態になっています。区長会はこの問題について具
体的な対応をすべきだというのが私の主張ですが、質問時間の関係や区の理事者が状況を充分に
把握していないこともあり、あまり細部に亘ったやり取りはできませんでした。

 決算委員会の最後に一般会計決算など5会計についての採決が行われました。私はこの20年
度予算案に反対しましたが、今日の最終の「討論」でも、新宿駅東西自由通路建設の財源、遺贈
の放棄、清掃一部事務組合の不透明性、オリンピック招致費用の無駄遣い、全国学力テストの問
題、30人以下学級に対する区教委の消極的態度など、幾つもの問題点を指摘し、すべての議案
に反対しました。尚、全議案は賛成多数で可決されました。


● 10月4日(日曜日)●

   「環境問題を考える秋のつどい」が開催されました。


 三栄公園で「環境問題を考える秋の集い」が開催されました。今年は第8回目になります。鳩
山首相が温室ガスを「90年比で20までに25㌫削減」を明言しましたが、こうした問題につ
いて、自分たちの日常生活と関連付けて考える集いにもなりました。とても有意義な集まりでし
た。公園の一角では、資源の再利用ということでチャリティー・バザーが実施され、また環境問
題に熱心な建設ユニオンの方々が「住宅相談」や「包丁とぎ」も行いしたが、いずれも大変好評
でした。天気にも恵まれました。


● 10月3日(土曜日)●

   2016年は五輪、南米初のリオデジャネイロに決定。


 2016年のオリンピック開催都市の選考で東京は落選しました。私はいまの状況での開催に
は反対だったので、この結果については当然のように受け止めています。落選の理由は明確だ思
っています。明確な開催理念がなく、従って都民の支持率が低くかったことと湯水のような誘致
費用の使い方に最大の問題があります。

 オリンピック招致予算は当初55億円、うち都の負担が15億円と公表されていました。しか
し、都の負担はどんどん膨れあがり、およそ当初の予算とは比較にならない総額150億円にも
なっています。それでも収まらなくて現在では208億円を越し、都の負担は当初の10倍にも
当たる158億円にも膨張しています。更に積立金は何と4000億円にもなっています。気の
遠くなるような予算です。最初は少なめに積算し、その後は都民の目を避けるように徐々に増や
していくやり方は、役人の常套手段ですが、オリンピックに関しては、当初の予算はあってなき
がごときであり、オリンピックと名前がついたら何でも許されるという感じです。都民軽視の典
型です。

 新宿区でも、世論盛り上げのイベントを3回実施し、約3000万円の税金を使いました。そ
の内容は五輪のメダリストや吉本興業の「ノー・タレント」への支払いです。本当に馬鹿馬鹿し
くなります。私は、こんな思いつきのようなことをして税金を浪費するから東京の支持率はあが
らないのだと思っています。いま開かれている決算委員会でも、都に加担した新宿区のこのよう
なやり方に対して強く批判する発言をしました。

 都民の合意形成もないまま、しかも支持も低い状態のまま税金を浪費し続けてきたのがオリン
ピック招致活動です。これが最終的な投票にも反映したものと思われますから、落選は当然とい
えば当然のことです。

 私は、リオディジャネイロになって良かったと思っています。リオは、実に誠実に、時間をか
けて地道に誘致活動を行ってきました。南米で初めて開催するのはオリンピックの新たに歴史を
きり開くことになります。リオのオリンピックが大成功するように心から願っています。


● 10月1日(木曜日)●

      新宿文化センター開館30周年記念コンサート。


 夜、新宿文化センター開館30周年を記念して、「オーケストラ名曲コンサート」が大ホール
で開かれました。30数年前、私は文化センター建設の特別委員会の委員として、新宿に第一級
の音楽施設を作り、ここを文化芸術行政の拠点にしようと喧々諤々議論をしたことを思い出して
います。当時の山本克忠区長は、東京交響楽団の役員をやっていた人で、音楽や演劇などには随
分理解の深い方でした。山本区長のような首長がいたから、あの時代にこうした立派な文化施設
を建設することができたのだと思います。ステージ右壁面に備え付けられた堂々としたドイツ製
のパイプオルガンも、このセンターで演奏する音楽の領域を広げたいという目的で設置したもの
ですが、大変思い出があります。今日もこのオルガンが演奏されました。

 ただ、開館以来30年もたつと、サントリーホールなど各地に後発の施設が作られ、当時は最
新であった新宿文化センターも随分古くなってしまいました。1800席という規模も商業演奏
会では規模が少なすぎ、採算上問題で敬遠されているようです。しかし、私にはとても愛着があ
る建物です。
 今夜のコンサートでは、チヤイコフスキーのヴァイオリン協奏曲やラヴェルのボレロなどが演
奏されました。久しぶりに楽しい時間を送ることができました。

 今日から10月。終日開かれている決算委員会の5日目です。今回の委員会では副委員長を務
めていますが、委員会の進行に最大限協力するため、いつものような感じでそれなりに時間をと
って質問するのは相当控えています。このため、少々、消化不良のような思いに陥っています。




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              (  8月以前の分は、この冒頭に記載してある該当の月をリンクしてご覧ください。 )