私の 「活動日記」 です!
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       (2009年12月分)


●12月31日(木曜日)●

    拭き掃除に精を出し、今年も最後は林光寺で除夜の鐘。


 大晦日は、私も「良き家庭人」になりました。一日中、窓ガラスや電気器具を拭いたり、換気扇
の掃除をしたりしました。夜は次男夫婦たちと食事をし、今年の最後の時間は何十年も恒例になっ
ている四谷の名刹・林光寺で住職の味わい深い説教を聴きながら過ごしました。

       皆さん! いいお年をお迎えください!



●12月30日(水曜日)●

   四谷三丁目で今年最後の「区政報告演説」を行いました。


 今年も明日一日を残すだけ。3時から一時間半ほど四谷三丁目・丸正前で「区政報告」の演説を
しました。区が許可した建築確認関連事務で17日、最高裁が「新宿区敗訴」の裁定を下した事件
などについて報告しました。


●12月28日(月曜日)●

    党機関紙・新社会の集金。「区政報告」の発送作業。


 区役所は今日が今年最後の執務日。10時過ぎに登庁し、何人かの人たちに一年のお礼の挨拶を
しました。その後、私が担当している新社会党機関紙「週刊・新社会」の集金しました。私は、地
域や役所で130部ほどの機関紙配達を担当しており、三ヶ月に一回集金しいますが、不在が多く
何度も何度も伺うことが普通です。従って完了するまでは随分時間がかかり、時には途中で時間切
れ状態になることもあります。そうした場合は自己負担です。区役所については2、3日前から集
金していましたが、何部かについては、結局残ってしまいました。商業新聞の集金を担当している
青年たちの苦労がよく分かります。

 今日は3時過ぎに帰宅し、その後は家族と共に「区政報告」や「やまびこ会ニュース」の発送作
業をしました。新年号は約4000部(A4版・8ページ)作成しました。大半発送しますが、こ
のうちの約800部程度は手配りをするようにしています。郵送料の節約のためです。30日から
31日にかけて発送しますが、その準備は全部終了しました。年始早々からは、何日かかけて手配
り分を配って歩かなければなりません。毎年のことですが、少々苦痛です。

 昨夕は家族で「忘年会」。新宿区役所近くの居酒屋で行いました。私たち夫婦と長兄、次男夫婦、
長女の6人です。みんな揃ったのは、祖母の一周忌以来です。久し振りです。


●12月24日(木曜日)●

    最高裁で区敗訴を受け、緊急に会派代表者会議開催。


 今日9時から区議会各派代表者会議が開かれました。議題は、区が確認をおろしたマンション建
設が違法と認定された最高裁判決についてです。副区長や総務部長が出席して「経過説明」をしま
した。
 この敗訴に関して、区長は「最高裁判決を真摯に受け止め、適切な対応をする」という趣旨のコ
メントを出しています。最高裁判決ですから、真摯に受け止めることは当たり前のことで、これじ
ゃ何も言っていないのと同じです。
 区長が行った「認定処分」は完全な間違いであったという判決ですので、責任の所在は明々白々
です。私は、区長や区の幹部がどういう責任を負うのか注目していましたが、今日のところはまだ
未定ということです。代表者会議が終わった後、区は弁護士と話し合いをし、このことについても
相談する予定だということです。
 区長がどう責任を取るかを弁護士と相談するというのは、私にはよく分かりませんが、しかし、
そういうことでした。

 最高裁判決を受けて、建築業者は「損害賠償」の請求に出るものと推定されますが、現時点での
責任の取り方は、まず、完全な判断ミスを犯したことについての責任です。私は今日の代表者会議
でそのことを強調しましたが、区の判断ミスで、由緒ある建物は壊され、「タヌキの森」の樹木は
伐採されたのだから、まず、このことについて責任を取るべきです。
 そして次の問題としてこれから「損害賠償請求」が出てきたら、それについても区長・区幹部は
それ相当の責任を取らなければなりません。損害賠償請求の動きを睨み、それを勘案して責任問題
に対応するというのでは、あまりにも対処が遅いと言わざるを得ません。

 沖縄返還時に「核の持ち込み」の密約があったのではないかという指摘はかねてからあり、アメ
リカの公文書公開ではその事実が実証されていますが、驚いたことに佐藤首相自身がが持っていた
「佐藤・ニクソン署名の文書」で日本側でても明確になりました。「事実」そのものは、周知のこ
とですが、無くなったとされていた文書が日本で発見されたことは驚きです。

 佐藤首相は、沖縄の平和裏な返還で「ノーベル平和賞」を受賞しましたが、それに値しないこと
が日米両国で客観的に表明されました。本人は受賞を改めて辞退すべきですが、この世にいません
からそれも出来ません。そうだとするならば、主催者の方で「受賞の取り消し」をすべきだと思い
ます。そうでもしないと「ノーベル賞」の権威はがた落ちです。


●12月21日(月曜日)●

  敗訴した最高裁判決に関し、区議会での説明を求めました。


 区内の落合地区に建設中で完成直前だった高級マンションが、最高裁判決で「違法建築」とされ、
控訴していた新宿区長が敗訴になった事件で、今日、新宿区議会議長に対して緊急に区議会各派代
表者会議を開催し、判決内容や新宿区としての当面の対策などについて、区長から説明を求めるよ
うに要望しました。日程の調整をして開催するということなので、近日中に開かれるのではないか
と思います。区議会の環境建設委員会の開催も模索されています。

 新宿区の選挙監理委員を勤めている北川功さんが、健康上の理由で本年末で辞任することになっ
たということです。来年早々から、私たちが推薦し、補充員として登録されている川村一之さんが
新委員に就任します。任期は北川さんの残りの期間で2010年12月25日までです。
 北川さんは、私と同時に区議会議員に当選した自民党の方ですが、在任中は随分活動しました。
自民党の伝統を引き継ぐような古いタイプの議員ですが、議長も勤めた好感の持てる人でした。


●12月19日(土曜日)●

    日中、産直製品の配達。夜は「区政報告」を作成。


 一日中、「産直製品」の配達をしました。ごく最近、亡くなった人が二人いたので、びっくりし
ました。共に、私が若い時から随分世話になった人です。お二方とも生前の本人の強い意向により、
内々のご家族で見送ったということでした。

 夜は、「区政報告」の新年号を作成。作業はほとんど進みませんでした。今月末までには、A4
版8ページの原稿を書き、版下を作成して事務所の印刷機で印刷します。その後、シールを貼った
筒に詰める作業をし、大晦日には投函する予定です。部数は4500通前後。いつものことですが、
当面、やることがいっぱいです。


●12月18日(金曜日)●

   完成直前のマンションが違法。最高裁で新宿区長が敗訴。


 昨日、最高裁で完成直前のマンション建設が「違法」とされた判決がありました。新宿区が建築
確認をしていた物件です。この建築物については、落合を地元とする民主党の小野議員が繰り返し
追求し、私も同じような問題意識を持って区議会で取り上げていました。新宿区は、対者の規模を
規制する接道の幅や長さについて「東京都安全条例」の条文を不当に拡大解釈をしており、区の建
築確認事務を行う担当や新宿区建築審議会の判断は無理がある。従って、新宿区は確認を取り消す
べきだというのが私の主張でした。
 最高裁の判決により、新宿区長は重大な賠償責任を負う可能性が出てきました。区民に対して大
きな被害を及ぼす誤った判断をしたということになります。そうなると区長の責任は免れず、今後、
区議会でも大きな論議になることは当然のなりゆきと言えます。

 毎年、年末に行っている恒例の「産直製品」が相次いで届きました。明日とあさって配達する予
定ですが、大口に注文者の何件かは、今日配って歩きました。

 随分遅れていた「喪中はがき」を、ようやく今日、投函しました。一ヶ月も前にはやっていなけ
ればならないことだったんですが、後回しになり、随分、遅くなってしまいました。>


●12月15日(火曜日)●

   普天間移転先送りに批判沸騰。ではどうすればいいのか。


 懸案になってい普天間基地の移転先について、政府は「当面先送りする方針」を明らかにしまし
た。この決定に対して、多くのマスコミや評論家はこぞって批判をしています。
 確かに、「県外移転」とか「国外移転」を明確な前提にしているわけではありませんので、先送
りした後の状況についてはどうなるか不明であり、分かりにくいところがあります。
 しかし、いまこの問題で結論を出すとするならば、「普天間基地居座り」か「辺野古移転」にな
らざるを得ません。これらは、いずれにしても認められない結論です。先送りし、時間をかけてあ
らゆる可能性について追求すべきです。

 従って、政府の「当面先送りする方針」は現状で考えられるベターな結論と言わざるを得ません。
批判者の多くは、これまで通り、沖縄への基地押し付けを大前提にしているのです。いま私たちに
問われているのは、こうした一方的に犠牲を強いる「沖縄の戦後」を、可能な限り沖縄の人たちの
立場に総括し、自らの問題として日米安保や地位協定や基地問題を考えることです。
 全く安易に「辺野古で結構」「沖縄県内ならどこでもいいじゃないの」という類の主張こそ厳し
く批判されるべきです。


 今日、午前中は区議会の自治地方分権特別委員会。午後は、京王線の高幡不動駅まで行き、来年
2月21日に行われる日野市議選に立候補する予定の後輩の鷲尾由紀太(わしおゆきた)と落ち合
い、一緒に関係者にあいさつ回りをしました。新人候補です。何とか当然してほしいものです。
 今朝、中口伊佐美さんが亡くなりました。社会党時代の大先輩です。84歳でした。気さくな人
柄で誰からも好かれていました。私が初当選した時には、既に何度も当選回数を重ねた大ベテラン
で、新人の私は、議会全般についていろいろと指導してもらいました。

 当時、社会党新宿区議会議員団の主要なメンバーは、歌崎藤作、舟木兼三、渡辺ひさ子、古谷キ
ヨ、中口伊佐美、それに羽曽根力、久保合介、福島トシ子、根本二郎、川村一之などでしたが、中
口さんの逝去で前者の5人は亡くなったことになります。ご冥福を祈ります。合掌。


●12月14日(月曜日)●

    政務調査費の監査。監査委員から特別な指摘はなし。


 
 区議会の各会派に支給されている「政務調査費」について、監査委員の監査を受けていましたが、
今日、それに関する報告が会派別に行われました。私たちの「社会新宿区議会議員団」は、監査委
員から、視察先で受け取った資料や事務所費の計上などについて2、3の質問を受けましたが、問
題点として指摘されたり、改善を求められたりすることはありませんでした。

 日中は、新年号に掲載される予定の原稿をひとつ書き、夜は四谷の事務所で新社会党新宿総支部
執行委員会に出席。この会議では、参加者から川田龍平が、物心両面にわたって熱心に支援して闘
った支援者たちの意向を全く無視し、さっさと「みんなの党」に入党したことについて、批判的な
意見が続出しました。

 私は、もともと彼については、思想的に見ても政治家の素質としても、そんな人物だと思ってい
たので、以前、私の選挙を支援するという彼からの恩着せがましい申し出についても、「どうぞ他
の仲間の応援をして下さい」「私は支援していただかなくても結構です」と丁重にお断りしていま
した。従って、今度のことについても、「来るべきものが来た」という程度の淡白な思いです。全
く腹もたちません。



●12月13日(日曜日)●

    欠礼のはがきに、それぞれの思いを感じています。



 日一日と今年も残りが少なくなっていますが、連日、年末年始の「欠礼」のはがきが届けられま
す。この時期の風物詩のようなものとは言え、特に小さな子どもや若くして生を終えた両親などか
らのはがきを見ると、本当に胸が痛みます。
 私たちも去年、和気幸子(妻の母)が97歳でなくなり、今年は、私の母・山田きぬが104歳
で他界しました。共に人も羨む高齢でしたから、天寿を全うした生涯でしたが、それにしても肉親
と別れる時の気持ちは実に寂しいものです。

 毎日受け取る欠礼のはがきを手にして、それぞれの残された人の気持ちを考えてみています。


●12月9日(水曜日)●

    漱石山房の復元へむけ、講演会を開催しました。



 今日は漱石の命日、漱石忌です。「漱石山房の復元を進める新宿区議会議員の会」で講演会を開
催しました。講師は、漱石の長女・筆子の四女、半藤末利子さん(エッセイスト)です。

 講演会には、区議会議員の他に、公募した一般の方々も約60人参加し、区議会の大会議室はほ
ぼいっぱいという感じでした。演題は「漱石ゆかりの事など」。漱石、妻の鏡子、漱石夫婦の長女
筆子の三人を中心にしたさまざまな逸話を聞くことが出来ました。

 講演会終了後、会場内でサイン会を開催。その後、雑司が谷霊園へ「墓参」。18人ほど参加。
半藤さんも同行してくれました。5時半からは区役所レストランの「けやき」で交流会を開催しま
したが、こちらには30人ぐらいの方々が出席してくれました。半藤さんも最後まで参加し、場を
大いに盛り上げてくれました。交流会では一般参加の方にもスピーチをしていただきました。おじ
いさんが漱石山房の隣に住んでいたという女性の方の話もありました。こうした話題は、もうほと
んど聞く機会がなくなるだろう思いました。
 皆さんの話を聞いて、改めて「漱石山房」の復元に対する強い思いを感じました。

 多くの方々のご協力で、とにかく当初の計画通りの日程をこなすことが出来、ほっとしています。


●12月8日(火曜日)●

    普天間基地の辺野古への移転反対。グアムが最善。


 普天間基地の移転問題が、鳩山政権の重大な課題になっています。あれこれ主張されている沖縄
県の県内移転も国内移転も簡単な問題ではありません。基本的には日本の平和に深く関わる問題で
すから、憲法に照らして解決するしかありません。グアム移転が最善です。

 本来、日本国内の基地を少なくする、最終的には、全部なくすことが憲法が指し示す方向です。
長い経緯がありますから、アメリカの主張を無視することは出来ないのかもしれませんが、向こう
事情に配慮し、尊重するという立場に立つならば、問題はこじれるばかりであり、前進しません。
当面の対応としても将来的な戦略・戦術として、ここはきちんと日本の立場を貫くべきです。防衛
大臣と外務大臣の主張は、政府が持つべき本質から外れています。現時点では、社民党の主張がベ
ターな政治選択です。

 明日の「漱石講演会」に向けて、最後の点検と準備。全てきちんとやったつもりではいるが ~。


●12月7日(月曜日)●

    今年最後の定例議会閉会。本会議は僅か10分で終了。


 今年最後の新宿区議会第四回定例会は今日が最終日。午前中には議会運営委員会が持たれ、引き
続いて2時からは本会議が開催されました。本会議では、新たな議案の提出や反対討論などは一切
なく、ただ各委員会で採決された議案を、手早く議決するだけでした。議長が一人で原稿を読み上
げ、たったの10分で終了しました。終了後、恒例になっている議長と区長の表敬訪問がありまし
た。
 定例会は終了しましたが、年内に常任委員会、特別委員会などは何回か開かれます。議会運営委
員会の理事会では、「請願・陳情の取り扱い」に関する新たなルール作りについても協議すること
になっています。

 夜、新社会党東京都本部執行委員会が開催されました。私たちが推薦して闘った川田龍平参議院
議員が「みんなの党」に入党しましたが、その経緯などについて報告がありました。革新陣営がこ
ぞって擁立し、ようやく当選にこぎつけた川田議員が、全く自分だけの判断でさっさとで「みんな
の党」に入党した行為は、背信的であり実に残念なことだと思っています。
 このことと関連して、来年の参議院選挙東京選挙区の候補者擁立について意見交換をしました。
 終了後、事務所でにぎやかに忘年会を開催。


●12月5日(土曜日)●

    四谷地域の施設再配置で説明会が開催されました。


 午後2時から新宿歴史博物館で四谷地区に関する区有施設の再配置計画についての説明会があり
ました。100名定数の会場はほぼ満員で、関心の高さが伺われました。一通りの説明のあと、質
疑が行われましたが、清掃事務所の駐車場問題、仮設されている保育園の継続問題、集会施設機能
の代用問題など、予想された問題が中心でした。
 ただ、変わった質問では、旧四谷第三小学校の再開発地に予定されている「文化国際交流拠点機
能」について、「既に具体化されているのか」とか「美術館や美術展示機能を考えるべきだ」とい
う質問もありました。美術関係の発言をしたのは私の知り合いの画家です。

 また、四谷地域に「公設の葬祭施設」を考えてほしいという声も出されました。ある町会長さん
からの要望です。
 かつて四谷地域センターが改築される際に、区の設計図案ではここに葬祭ができるスペースを作
ることになっていました。しかし、当時のほとんど全ての四谷地区の町会長たちはこぞって、「そ
うした施設は四谷の顔とも言える地域センターにふさわしくない」と大反対をしたものでした。

 私は、説明会などで「四谷地域に葬祭が可能な施設は必要だ」「区民の要望も極めて強い」と区
案を強く支持しましたが、町会長たちは私の主張に強く反発し、「線香のにおいがする」とか「四
谷には寺院がいっぱいある」などと訴えました。「四谷の寺院に掛け合って、葬儀費用を安くして
やる」などと口から出任せのことを言う無責任な町会長もいました。

 新宿区も結局、こうした町会長たちの声に押し切られるかたちで最終的には設計変更をして葬祭
施設を削ってしまいました。このような経緯をたどり、四谷地域センターには葬祭施設が設置され
なくなり、今日に至っているのです。

 このように四谷地区に、葬祭施設が設置されない原因ははっきりしています。従って、この際は
まず、町会長の中で、過去のいきさつをきちんと総括することも必要ではないのかと私は思ってい
ます。


 午前中、日野市へ。来年早々の2月21日に日野市議会議員選挙が行われますが、友人の「わし
お由紀太」が新社会党の推薦で立候補します。40代半ばの新人、生業は行政書士です。実にまじ
めな人間です。
 今日は高幡不動駅前で一時間ほど推薦の演説をし、その後、近くのスーパーや大規模な団地を回
って彼が主張している「市政政策」を訴えました。
 今後も何度か支援に行きます。是非、当選してほしいと思っています。


●12月4日(金曜日)●

    漱石忌の講演会開催へ。ほぼ、事前の準備は完了。


  「漱石山房の復元を進める新宿区議会議員の会」では、漱石の命日に当たる12月9日に講演会
を開きます。講師は漱石の長女・筆子の四女、半藤万利子さんです。この講演会には一般の人たち
にも参加してもらいます。全体で100人程度になります。
 今日は、当日に配布する幾つかの資料の作成をしました。これらの資料を入れる封筒も作成しま
した。当日の進行については、半藤さんからもOKの返事をもらったし、事前の準備もほぼ終わっ
たので、一安心というところです。

  尚、この講演会については、1日の産経新聞朝刊(東京版)で大きく報道されました。先日、産
経の記者から電話取材を受け、長々と説明したことが記事の骨格になっています。こうした報道を
通して漱石山房の復元に向けて機運が高まればいいなあと思っています。


 久しぶりに丸正前で一時間半ほどは区政報告の演説をしました。大半の演説時間をさいて、先に
行った「代表質問」の紹介に当て、特に、「新宿区でも事業仕分けを実施すべきだ」という私の提
案の内容と、それに対する区長の消極的な答弁について言及しました。

 幾つ者自治体に引き続いて、初めて国でも行った「事業仕分け」については、様々是正すべきと
ころはありますが、今まで密室で作成されてきた国の予算編成の一部が、公開になったということ
では極めて大きな意味があります。
 この制度の持つ不充分なところは是正することを前提にするならば、私は新宿区でも是非、区民
の目に見える予算案を作るという観点から、同様の取り組みを実施すべきだと考えています。
 区長が消極的な態度を取っていることには、大変不満です。


●12月2日(水曜日)●

    地方主権の成否は、「官僚支配の打破」が出来るか否か。


 区議会の自治・地方分権特別委員会が開かれました。地方分権改革推進委員会の第四次報告につ
いて質疑を交わしました。国と地方の財政構造について改革するという内容の勧告です。多くの重
要な内容を含んでいますが、問題はこの勧告が実施されるか否かです。

 例えば、先に出された第三次勧告は、地方自治体に対する国のがんじがらめの「義務付け」「枠
付け」の廃止を提言したもので非常に意欲的な内容であり、高く評価されています。しかし、今の
ところ、いつものように中央官庁・役人のガードが高く、この勧告が実施されるような状況ではあ
りません。政権が変わっても、中央官庁の役人が自分たちの権限と財源を絶対に手放さずに抱え込
んでおこうする体質は何ら変わっていません。

 地方分権改革推進委員会の第一次から第四次までの勧告はそれぞれ重要な内容を含んでいますが、
実施されなければ単なる紙切れ同然です。
 地方主権の成否は、既得権を確保し、自分たちの利権は手放そうとしないで汲々としている「官
僚たちの支配を打破出来るか否か」が最大の課題だと言えます。


●12月1日(火曜日)●

   手当て支給へ陳情採択。在日永住外国人の年金未権利者。


 区議会定例会の二日目。在日永住外国人の年金は、戦後の法改正の対応の遅れで、国民年金など
を受けられないで人がおり、そうした「制度の谷間」の人は、既に80歳を超える年齢になってい
ます。全国の自治体の中には、独自の制度をもうけ、1万円から1万5千円程度の「福祉年金」を
支給しているところが増え、23区でも半数以上が実施していますが、新宿区は未支給です。以前、
韓国民団新宿支部から区議会に制度の創設を求める「陳情」が提出されていましたが、今日の委員
会で採択になりました。本当に良かったと思っています。先日の本会議質問で共産党の田中議員が
この問題を取り上げ、担当部長も「これ以上(無権利状態のままで)放置できない」と答弁してい
ました。新宿区では、対象になる人は最大で70人程度と見られていますが、実際はもっと少なく
なるものと思われます。

 年に一、二回開かれている早稲田大学出身の集まりである「新宿区役所稲門会」が、今日、西新
宿で開かれました。今年は、夏の集まりが流れてしまったために、ほぼ一年ぶりの懇談会になりま
した。区の部課長、行政委員、三役経験者、議員などの「現職」や「卒業生」が入り混じって20
人くらい参加しました。相変わらずの無礼講で実に楽しい時間を過ごしました。





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              (  8月以前の分は、この冒頭に記載してある該当の月をリンクしてご覧ください。 )